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日蓮大聖人
御聖訓集

  平成20年令和元年12月  

令和元年十二月度 
 四条(しじょう)金吾(きんご)殿(どの)御返事(ごへんじ)文永九年 五十一歳
 法華経(ほけきょう) 云(い)はく「若(も)し善(ぜん)男(なん)子(し)善(ぜん)女(にょ)人(にん)、我(わ)が滅(めつ)度(ど)の後(のち)に能(よ)く竊(ひそ)かに一人(いちにん)の為(ため)にも法華経(ほけきょう)の乃(ない)至(し)一(いっ)句(く)を説(と)かん。当(まさ)に知(し)るべし 是(こ)の人(ひと)は如来(にょらい)の使(つか)ひ如来(にょらい)の所遣(しょけん)として如来(にょらい)の 事(じ)を行(ぎょう)ずるなり」等云云。法華経(ほけきょう)を一(いち) 字(じ)一(いっ) 句(く)も唱(とな)へ、又(また)人(ひと)にも語(かた)り申(もう)さんものは教主(きょうしゅ)釈尊(しゃくそん)の御(おん)使(つか)ひなり。(御書六二〇㌻二行目~四行目)
 
 令和元年十一月度 
兵衛ひょうえ志殿さかんどのご返(へん)事(じ ) 建治三年十一月二十日 五十六歳
 しお(潮)のひ(干)るとみつ(満)と、月(つき)の出(い)づるといると、
なつあきと、ふゆはるとのさかいにはかなら相違そういすることあり。
凡夫ぼんぶほとけになるまたかくのごとし。かなら三障四魔さんしょうしまもうさわりいできたれば、賢者けんじゃはよろこび、愚者ぐしゃ退しりぞくこれなり。
     (御書一一八四ページ一行目~三行目)
 令和元年十月度 
種々(しゅじゅ)()(ふる)(まい)()(しょ)健治二年 五十五歳
 
(ぶつ)(めつ)()()(せん)二百(にひゃく)二十(にじゅう)()(ねん)(あいだ)迦葉(かしょう)()(なん)(とう)馬鳴(めみょう)竜樹等(りゅうじゅとう)南岳(なんがく)天台等(てんだいとう)妙楽(みょうらく)伝教等(でんぎょうとう)だにもいまだひろめ(たま)わぬ法華経(ほけきょう)肝心(かんじん)諸仏(しょぶつ)眼目(げんもく)たる妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)五字(ごじ)末法(まっぽう)(はじ)めに一閻浮提(いちえんぶだい)にひろませ(はじめ)ふべき瑞相(ずいそう)日蓮(にちれん)さきがけしたり。わたうども二陣三陣(にじんさんじん)つゞきて、迦葉(かしょう)阿南(あなん)にも(すぐ)れ、天台(てんだい)伝教(でんぎょう)にもこへよかし。  (御書一〇五七ページ一行目~三二二㌻~三行目)
 令和元年九月度
生死
(しょうじ)一大事(いちだいじ)血脈抄(けつみゃくしょう)
文永九年二月十一日  五十一歳 (そう)じて日蓮(にちれん)がでし弟子(でし)(だん)()(とう)自他(じた)()()(こころ)なく、水魚(すいぎょ)(おも)ひを ()して異体同心(いたいどうしん)にして南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)(となへ)(たてまつ)(ところ)を、生死(しょうじ)一大事(いちだいじ)血脈(けつみゃく)とは()ふなり。(しかも)(いま)
日蓮(にちれん)弘通(ぐつう)する(ところ)所詮(しょせん)(これ)なり。
()(しか)らば広宣流布(こうせんるふ)大願(たいがん)(かな)ふべき(もの)か。(あまつさ)日蓮(にちれん)弟子(でし)(なか)異体異心(いたいいしん)(もの)(これ)()れば、(れい)せば城者(じょうしゃ)として(しろ)(やぶ)るが(ごと)し。(御書五一四㌻五行目~七行目)
 令和元年八月度 
上(うえ)野(の )尼(あま)御(ご )前(ぜん)御(ご )返(へん)事(じ ) 弘安三年十一月十五日 五十九歳
 法華(ほけ)経(きょう)と申(もう)すは手(て )に取(と )れば其(そ )の手(て )やがて仏に(ほとけ)成(な )り、口(くち)に唱(とな)ふれば其(そ )の口(くち)即(すなわ)ち仏な(ほとけ)り。譬(たと)へば天(てん)月(げつ)の東の(ひがし)山(やま)の端(は )に出(い )づれば、其(そ )の時(とき)即(すなわ)ち水(みず)に影(かげ)の浮(う )かぶが如(ごと)く、音(おと)とひゞきとの同(どう)時(じ )なるが如(ごと)し。故(ゆえ)に経に(きょう)云(い )はく「若(も )し法(ほう)を聞(き )くこと有(あ )らん者(もの)は一と(ひとり)して成仏(じょうぶつ)せずといふこと無(な )けん」云(うん)云(ぬん)。
文(もん)の心は(こころ)此(こ )の経を(きょう)持(たも)つ人(ひと)は百人は(ひゃくにん)百人(ひゃくにん)ながら、千(せん)人(にん)は千(せん)人(にん)ながら、一人(いちにん)もかけず仏に(ほとけ)成(な )ると申(もう)す文(もん)なり。
(御書一五七四㌻七行目~一〇行目)
八月度 
令和元年七月度
立 正(りっしょう)安 国 論(あんこくろん) 文応元年七月十六日 三十九歳
汝(なんじ)須(すべから)く一身(いっしん)の安(あん)堵(ど )を思(おも)はゞ先(ま )づ四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を禱(いの)るべ
きものか。就中(なかんずく)人(ひと)の世(よ )に在(あ )るや各(おのおの)後生(ごしょう)を恐(おそ)る。是(ここ)を以(もっ)て或は(あるい)邪教(じゃきょう)を信(しん)じ、或は(あるい)謗法(ほうぼう)を貴ぶ(たっと)。各(おのおの)是非(ぜひ)に迷(まよ)ふことを悪(にく)むと雖も(いえど)、而(しか)も猶(なお)仏法(ぶっぽう)に帰(き )することを哀(かな)しむ。何(なん)ぞ同(おな)じく信心(しんじん)の力を(ちから)以(もっ)て妄(みだ)りに邪(じゃ)義(ぎ )の詞を(ことば)宗(あが)めんや。(御書249㌻7行目~9行目)
令和元年六月度 
 開目抄 文永九年二月  五十一歳
 
(われ)(なら)びに()弟子(でし)諸難(しょなん)ありとも(うたが)(こころ)なくば、自然(じねん)仏界(ぶっかい)にいたるべし。(てん)加護(かご)なき(こと)(うたが)はざれ。現世(げんぜ)安穏(あんのん)ならざる(こと)をなげかざれ。()弟子(でし)朝夕(ちょうせき)(おし)へしかどもうたが、(うたが)ひををこして(みな)すてけん。 つた()なきもの(もの)のならひは、約束(やくそく)せし(こと)をまことの(とき)はわするゝなるべし。 (御書五七四㌻一二行目~一四行目)
令和元年五月度 
松野殿御返事 建治二年十二月九日  五十五歳
魚(うお)の子(こ)は多(おお)けれども魚(うお)となるは少(すく)なく、菴(あん)羅(ら)樹(じゅ)の花(はな)は多(おお)くさけども菓(このみ)になるは少(すく)なし。人(ひと)も又(また)此(か)くの如(ごと)し。菩(ぼ)提(だい)心(しん)を発(お)こす人(ひと)は多(おお)けれども退(たい)せずして実(このみ)の道(みち)に入(いる)る者(もの)は少(すく)なし。都(すべ)て凡夫(ぼんぶ)の 菩提心(ぼだいしん)は多(おお)く悪縁(あくえん)にたぼらかされ、事(こと)にふれて移(うつ)りやすき物(もの)なり。鎧(よろい)をき 著(き)たる兵者(つわもの)は多(おお)けれどもいくさ、戦(いくさ)に恐(おそ)れをなさゞるは少(すく)なきが如(ごと)し。(御書一〇四八㌻一七行目~一〇四九㌻二行目)  
 平成三十一年四月度
如来(にょらい)滅後(めつご)五五(ごご)百歳(ひゃくさいに)(はじむ)観心(かんじんの)本尊抄(ほんぞんしょう)(御書661頁17行)
 
天台(てんだい)()はく「(あめ)(たけ)きを()(りゅう)(だい)なるを()り、(はな)(さか)んなるを()(いけ)(ふか)きを()る」等云云。妙楽(みょうらく)()はく「智人(ちにん)()()(じゃ)(おのずか)(じゃ)()る」等云云。天晴(てんは)れぬれば地明(ちあき)らかなり、法華(ほっけ)()(もの)世法(せほう)()べきか。一念三千(いちねんさんぜん)()らざる(もの)には(ほとけ)大慈悲(だいじひ)()こし、五字(ごじ)(うち)()(たま)(つつ)み、末代幼稚(まつだいようち)(くび)()けさしめたまふ。
 平成三十一年三月度
 妙一尼御前御消息 建治元年五月 五十四歳
 法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりき(聞)かずみ(見)ず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡(ぼん)夫(ぶ)となる事を。経文には「若有(にゃくう)聞法者(もんぽうしゃ)無(む)一(いち)不成仏(ふじょうぶつ)」ととかれて候。(御書八三二㌻一二行目~一四行目)
 平成三十一年二月度 
南条兵衛七郎殿御書 文永元年十二月十三日 四十三歳
 いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたき(敵)をだにもせめざれば得道ありがたし。たとへば朝につか(仕)ふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をし(知)りながら奏(そう)しもせず、私にもあだ(怨)まずば、奉公皆う(失)せて還(かえ)ってとが(咎)に行なはれんが如し。当世の人々は謗法の者と し(知)ろしめすべし
     (御書三二二㌻一八行目~三二三㌻三行目)
 平成三十一年一月度
 諸法実相抄 文永十年五月十七日 五十二歳
 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経妙と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。剰(あまつさ)広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経妙と唱へん事は大地を的とするなるべし。ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給ふべし。
          御書六六六㌻一七行目~六六七頁~一行目
  平成三十年十二月度
法華初心成仏抄 弘安元年五十七歳
 当世の人何となくとも法華経に背く失に依り、地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり。
            (御書一三一六㌻四行目~七行目)  
 平成三十年十一月度
兄 弟 抄 建治二年 五五歳
 此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく「行解(ぎょうげ)既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏(おそ)るべからず。之に随へば将(まさ)に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。
    (御書九八六㌻八行目~一一行目
 平成三十年十月度 
聖 愚 問 答 抄文永五年 四十七歳
 今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり(中略)今の世を見るに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛す(こうじょう)る国か勘ふ(かんが)べし。
   (御書四〇三㌻一二行目~一五行目)
 平成三十年九月度      
異体同心事 弘安二年八月 五十八歳
 異体同心なれば万事を成(じょう)じ、異体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候(中略)日本国の人々は多人なれども、異体異心なれば諸事叶う事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々少なく候へども大事成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。
               (御書一三八九㌻一二行目~一三九〇㌻二行目)
 平成三十年八月度 
開目抄 文応九年二月  五十一歳
 摂受・折伏と申す法門は、水火のごとし。火は水をいとう。水は火をにくむ。摂受の者は折伏を笑う、折伏の者は摂受をかなしむ。無知・悪人の国土に充満の時は摂受を前(さき)とす、安楽行品のごとし。邪知謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品の如し。
                   (御書五七五㌻一五行目~一七行目)  
 平成三十年七月度 
立正安国論 文応元年七月十六日 三十九歳

 広く衆経を
(ひら)きたるに専ら謗法を重んず。悲しいかな、 皆正法の(しょうぼう)門(もん)を出でて深く邪法の(ごく)に入る。愚かなるかな(おのおの)悪教の綱に(か)かりて鎮(とこしなえ)に謗教の網に纏(まつ)はる。此の朦(もう)霧(む)の迷ひ彼の盛焔(じょうえん)の底に沈む。豈愁(うれ)へざらんや、豈苦しまざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。      (御書二五〇㌻二行目~四行目)
 平成三十年六月度
持妙法華問答抄弘長三年 四十二歳
 寂光の都ならずば、
(いず)くも皆苦なるべし。本覚の(すみか)を離れて何事か楽しみなるべき。願わくは「現世安穏(げんせあんのん)後生善処(ごしょうぜんしょ)」の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後世の弄引(ろういん)なるべけれ。(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え、他をも(すす)めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき。
            (御書三〇〇㌻七行目~九行目)
 平成三十年五月度  
諸法実相抄 文永十年五月十七日 五十二歳
一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。あいかまえへて、あいかまえへて、信心つよく候ふて三仏の守護をかうむ(蒙)らせ給ふべし。行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし。
             (御書六六七㌻一八行目~六六八㌻三行目)
 平成三十年四月度  
報恩抄 建治二年七月二十一日 五十五歳
 日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土の一日の功には及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是はひとへに日蓮のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ。
            (御書一〇三六㌻一四行目~一七行目)     
 末法の正法とは南無妙法蓮華経である。この題目の五字は一切衆生をたぼらかす秘法なり。 『御義口伝』 平成新編御書 一七九九頁

〈意訳〉 末法の正法とは南無妙法蓮華経である。この題目の五字は、一切衆生を成仏に導く秘法である。
*【たぼらかすーには、とき磨く→立派に成仏するという意味があり(日達上人御指南)】(2月)
 同じ妙法蓮華経の種を心にはらませ給ひなば同じ妙法蓮華経の国へ生まれさせ給ふべし 『上野殿母尼御前御返事』 平成新編御書 一五〇九頁
 
〈意訳〉 同じ妙法蓮華経の仏種を心にはらませるならば、同じ妙法蓮華経の国へ生まれるであろう。
 毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。 『四条金吾殿御返事』 平成新編御書 一五〇二頁

〈意訳〉 毎年度々の御参詣によってあなたの無始からの罪障もきっと今生の一世のうちに消滅するであろう。
(29年12月)
 法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり。 『三大秘法稟承事』 平成新編御書 一五九五頁
〈意訳〉 方便品で釈尊が法華経を「諸仏出世の一大事」と説かれているのは、この三大秘法を含蔵している経だからである。(11月)
人の悦び多々なれば天に吉瑞をあらはし、地に帝釈の道あり、 人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す。『瑞相御書』 平成新編御書 九二〇頁

〈意訳〉 人の悦びが多ければ天には吉瑞が現わし、地には帝釈天の地動瑞が起こる。逆に人々の悪心が盛んになれば、天には不吉な異変を現し、地には不吉な災厄を起こす。(10月)
如何に賤き者なりとも、少し我より勝れて智慧ある人には、此の経のいはれを問い尋ね給ふべし。  『松野殿御返事』 平成新編御書一〇四七頁

〈意訳〉どんなに賎しいい身分の者であっても、仏法に関して少しでも自分より勝れて智慧ある人に対しては、この法華経のこの経のいわれを問い尋ねなさい。(9月)
 
人となりて仏教を信ずれば、まず此の父と母との恩を報ずべし。
『上野殿御消息』平成新編御書 九二二頁

〈意訳〉 仏教を信ずるようになれば、まず第一にこの父と母との恩を報ずべきである。(8月)
 
 此れより後もいかなることありとも、すこしもたゆむ事なかれ。いよいよはりあげてせむべし。たとい命に及ぶとも、すこしもひるむ事なかれ。 『兵衛志御返事殿』 平成新編御書 一一六六頁

〈意訳〉 これから後もどのようなことがあろうとも、少しも信心に油断があってはならない。いよいよはっきりと声に出して謗法を責めなさい。それによってたとい身命が危険にさらされても、少しも怖気づいてはいけないのである。(7月)  
必ず人の敬ふに依って法の貴にあらず。されば仏は依法不依人と定め給へり。  『聖愚問答抄上』 平成新編御書 三八三頁

〈意訳〉 必ずしも人が敬うからといって、その法が貴いというわけではない。されば仏は「法に依って人に依らざれ」と定められたのである。(6月)
 
  悪は多けれども一善にかつ事なし。譬えば多くの火あつまれども一水には消ゑぬ。此の一門も又かくのごとし。  『異体同心事』 平成新編御書一三九〇頁

〈意訳〉 悪は多くとも一善に勝つことはない。譬えば多くの火が集まっても一水によって消える。この一門も又同様である。 (5月)
信心弱くしてかかる目出たき所に行くべからず、行くべからず。 『松野殿御返事』  平成新編御書一〇五二頁

〈意訳〉 信心が弱くては(霊山浄土)のようなめでたいところに行くことが出来ないのである。 (4月)
説(たと)ひ正法を持てる知者ありとも檀那なくんば争(いか)でか弘まるべき。 『四条金御殿御返事』 平成新編御書一〇四一頁

〈意訳〉 たとえ正法を持っている智者(僧侶)がいたとしても、僧侶を外護する信徒がいなければどうして弘まることがあろうか。 (3月)
 
今末代悪世に世間の悪より出世の法門につきて大悪出生せり。これをばしらずして、今の人々善根をすすれば、いよいよ代のほろぶる事出来せり。 『減劫御書』 平成新編御書九二五頁

〈意訳〉 今末代悪世には世間の悪より仏教を信じる事で大悪が生じている。このことを知らずに今の人々は善根を修しているので、いよいよ世が滅びる事態が起きているのである。 (2月)
 
 五節供の次第を案ずるに、妙法華経の五字の次第の祭りなり。正月は妙の一字のまつりなり。 『秋元殿御返事』 平成新編御書三三四頁

〈意訳〉 五節供の次第を考えると、妙法蓮華経の五字の次第のまつりである。正月は妙の一字のまつりで天照大神を歳の神とする。
*「五節句」とは人日(じんじん)(正月7日)、上巳(じょうし)(3月3日)、端午(たんご)(5月5日)、七夕(しちせき)(7月7日)、重陽(ちょうよう)(9月9日)のと言われる風習で、中国から伝わった考え方に日本の宮中行事などが合わさったもの。 

(平成29年1月)
謗(ぼう)と云ふは但(ただ)口を以て誹(そし)り、心を以て謗(そし)るのみ謗には非(あら)ず。法華経流布(るふ)の国に生まれて、信ぜず行ぜざるも即ち謗なり。『戒体即身成仏義』 平成新編御書一〇頁

〈意訳〉謗とは口に出して誹謗したり心の中で誹謗することだけではない。法華経を流布すべきこの国に生まれているにもかかわらず、信じず行じないことも謗である。(12月) 
 
真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は南無妙法蓮華経なり。  『四条金吾殿御返事』平成新編御書一一九四頁

〈意訳〉末法という時代に、一切衆生にとて、心身の(肉体面・心身の障害)を、真実に打ち破り、乗り越える秘術は南無妙法蓮華経なのである。(11月) 
 
女人となる事は物に随って、ものを随える身なり。夫たのしくば妻もさかうべし。 『兄弟抄』  平成新編御書九八七頁

 〈意訳〉女性という者は物に随って、ものを随える身である。夫(おとこ)が楽しければ妻も栄えることが出来る。(10月) 
 
 其の人を毀るは其の法を毀るなり其の子を賎しむるは即ち其の親を賎しむなり 『持妙法華問答抄』 平成新編御書二九八頁

〈意訳〉 その人を毀ることはその法を謗ることである。その子を賎(いや)しめれば、即ち親を賎(いや)しめることである。(9月)
 このやまひは仏の御はからいか。そのゆへ浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候か。 『妙心尼御前御返事』 平成新編御書九〇〇頁

〈意訳〉 この病は仏のおはからいであろうか。その理由は浄名経(維摩経)や涅槃経には病ある人は仏になる、と説かれているからである。病によって仏道を求める心が起こるのである。(8月)
我が弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は臨終の時阿鼻獄(あびごく)の相をげんずべし。其の時我を恨(うら)むべからず。 『顕立正意抄』 平成新編御書七五一頁

〈意訳〉 我が弟子達の中にも信心薄い者は臨終の時に阿鼻地獄の相を現ずるであろう。その時に日蓮を恨んではならない。(7月)
 
 法華経をよむ人の此の経ををば信ずるやうなれども、諸経にても得道なるとをもうは、此の経をよまぬ人なり。 『報恩抄』  平成新編御書一〇二一頁

〈意訳〉 法華経を読誦する人は一見法華経を信じているように見えるが、法華経以外の爾前の諸経にも得道があると思うのは、法華経を正しく読まない人である。(6月) 
 南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤(もっと)も大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信を以て源とす。『日女御前御返事』 平成新編御書一三八八頁

〈意訳〉  南無妙法蓮華経とだけ唱えて、成仏することが最も大切である。(成仏は)ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は、信をもって源とする。(5月)  
 食は命をつぎ、衣は身をかくす。食を有情に施すものは長寿の報をまねき、人の食を奪ふものは短命の報をうく。 『法衣抄』 平成新編御書一五六四頁

〈意訳〉 食物は生き物の命をつぎ、衣は身を隠す。食物を有情(感情をもつ一切の動物)に施す者は長寿の果報を得、人の食物を奪う者は短命の報いを受ける。(4月) 
 世に四恩あり、之を知るを人倫となづけ、知らざるを畜生とす。 『聖愚問同抄』平成新編御書三九九頁

〈意訳〉 世の中には四恩(父母・衆生・国主・三宝とせる説)があるが、これを知る者を人倫と名づけ、知らない者を畜生というのである。 (3月)
 弥(いよいよ)信心にはげみ給うべし。仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし。 『阿仏房尼御返事』平成新編御書九〇六頁

〈意訳〉 ますます信心を励みなさい。仏法の道理を人に語ろうとする者を男女僧尼必ずにくむであろう。(2月) 
 設ひいかなるわずらわしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさはぐらせ給ふべし。 『兄弟抄』平成新編御書九八七頁

〈意訳〉 たとえどのような煩わしい嫌なことがあっても、それらは夢の中の事として、ただ法華経(御本尊)の事だけを思いつづけなさい。
平成28年1月)
 但在家の御身は余念もなく日夜朝夕南無妙法蓮華経と唱え候て、最後臨終の時を見させ給へ。 『松野殿御返事』 平成新編御書一一六九頁

〈意訳〉 在家の身としては、ただ余念(一四誹謗・名聞名利)なく、日に夜に南無妙法蓮華経と唱えて、最後臨終の時を見なさい。 (12月)
 この妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来たらざる事なく善根として動かざる事なし 『聖愚問同抄』 平成新編御書四〇八頁

〈意訳〉妙法蓮華経を唯一の正法と信じて修行に励むことにより、受けられない功徳はなく、動かない善根はありません。(11月)
 三世の仏は皆凡夫にてをはせし時、命を法華経にまいらせて仏になり給ふ。此の故に一切の仏の始めは南無と申す。 『南無御書』 平成新編御書一六七二頁
〈意訳〉 三世十方の諸仏が皆凡夫であられた時、命を法華経に捧げて仏になられたのである。此の故に一切の仏のうえには南無という。(10月)
命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金(こがね)にもすぎたり。 『可延定業御書』平成新編御書七六一頁
〈意訳〉 命というものは一身の第一の珍宝である。たとえ一日であっても寿命をのばすならば千万の金にもまさる。(9月)
 
此の経を経のごとくにと(説)く人に値(あ)ふことが難きにて候。 『兄弟抄』平成新編御書九七九頁
〈意訳〉 この法華経を経に説かれているように正しく説く人に値うのはむつかしいのである。(8月)
 法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり。我が心に心は報ずると思はねども、此の経の力にて報ずるなり。 『上野殿御消息』平成新編御書九二三頁
〈意訳〉 法華経を信仰する人は父と母への恩を報ずることが出来る。自分自身の心には報ずることが出来るとは思わなくとも、この法華経の力によっておのずと恩返しをしているのである。(7月)  
 臨終已(すで)に今にありとは知りながら、我慢(がまん)偏執(へんしゅう)名聞(みょうもん)利養(りよう)に著(じゃく)して妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下(むげ)にかひなし。 『持妙法華問答抄』 平成新編御書二九九頁 
〈意訳〉 臨終が既に今ある、と知りながら我慢偏執し、名聞利養に執着して妙法を唱えないということは、その志の程が余りにひどくふがいない。(6月)
 此の度大願を立て、後生を願わせ給へ。少しも謗法不信のとが候はば、無間大城疑ひなかるべし。 『阿仏房御書』 平成新編御書九〇六頁 
〈意訳〉 この度大願を立て後生を願いなさい。少しでも謗法や不信の失があるならば、無間地獄に落ちることは疑いないであろう。(5月)
我人を軽しめば還(かえ)って我が身人に軽易(きょうい)せられん。形状端厳(ぎょうじょうたんごん)をそしれば醜陋(しゅうる)の報いを得人の衣服飲食(おんじき)をうばへば必ず餓鬼(がき)となる。 『佐渡御書』 平成新編御書五八二頁  
〈意訳〉 自分が人を軽しめば、還って人に軽しめる。容姿の端正をそしれば、その報いとして醜く生まれる。人の衣服や食べ物を奪えば必ず餓鬼となる。(4月)
 
 人の多くおもふにはおそるべからず、又時節の久(く)近(ごん)にも依るべからず、専(もっぱ)ら経文と道理とに依るべし。 『善無畏三蔵抄』 平成新編御書四三八頁
 〈意訳〉 多数の人が思っているからといって恐れてはならない。また教義や宗団の成立が古いとか新しいとかによるべきではなく、
ひたすら経文と道理とによるべきである。(それによって正邪を決すべきである)(3月)
 此の文は一念に億劫の辛労を尽くせば、本来無作の三身念々と起こるなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行なり。 『御義口伝』 平成新編御書一八〇二頁
 〈意訳〉 湧出品には「昼夜に常に精進す、仏道を求むるが為の故なり」と説かれている。此の文は、わが一念に億劫という数え切れない長い間に辛労と苦労を尽くして仏道修行に励んでいくならば、本来自分自身に内在している無作三身の生命が瞬間瞬間湧き起っくるのである。すなわち南無妙法蓮華経と唱えていくことが精進行である。(2月)
未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事。 『日興遺誡置文』 平成新編御書一八八四頁
〈意訳〉
いまだ広宣流布していない時においては、身命を投げ捨てて、精一杯、折伏弘通に励むべきである。
(平成27年1月)  
 小事たる今生の御いのりの叶はぬを(もっ)てしるべし。大事たる後生叶ふべしや。 『法門申さざるべき様の事』 平成新編御書四三一頁
〈意訳〉 小事である今生の祈りが叶わないことから知りなさい。当然大事である後生の成仏が叶うはずがない。(平成26年12月)
 詮ずる所は一 念三千の仏種に非ざれば、有情(うじょう)の成仏・木画(もくえ)二像の本尊は有名無実なり。 『観心本尊抄』 平成新編御書六五二頁
〈意訳〉 結局、法華経の一念三千の仏種でなければ、有情(生きもの)が成仏するということも、非情の本像や画像を本尊とするようなことも、全て言葉のみがあって実態がないことになる。(11月)
身軽法重(しんきょうほうじゅう)死身弘法(ししんぐほう)とのべて候へ場ば、身は軽ければ人は打ちはり(にく)むとも、法は重ければ必ず弘まるべし。 『乙御前御消息』 平成新編御書八九八頁
〈意訳〉 章安大師は涅槃経
(しょ)に「身は軽く法は重し、身を(ころ)して法を弘む」と述べている。日蓮の身は軽いから、人は打ち、たたき、憎むとも、法は重いので必ず弘まるであろう。 (10月) 
 謗法の者に向かっては一向に法華経を説くべし。毒鼓(どっく)の縁と成さんが為なり。例せば不軽菩薩の如し。(中略)信謗(しんぼう)共に下種と為(な)ればなり。 『教機時国抄』 平成新編御書二七〇頁
 〈意訳〉 謗法の者に向かっては一途に法華経を説くべきである。それは毒鼓の縁となるからである。(中略)信ずるにしても謗ずるにしても、共に下種となるからである。(9月)
 幸いなるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことよ。  『顕仏未来記』 平成新編御書六七八
〈意訳〉 何と幸せなことであろう。法難を受けることで一生の内に無始以来の謗法を消滅できることは。(8月)
 源にごりぬればながれきよからず。身まがればかげなをからず。 『一谷入道女房御書』 平成新編御書八二七頁
〈意訳〉 源が濁っていればその流れは清くない。身体がまがっていればそのその影はまっすぐではない。(7月)
 能く能く諸天にいのり申べし、信心にあかなくして所願を成就し給へ 『弥源太殿御返事』平成新編御書七二三頁  
〈意訳〉 よくよく諸天に祈りなさい。信心に怠りなくして所願を成就されなさい。(5月)
 千年のかるかや(苅茅)も一時にはひ()となる。百年の功も一言にやぶれ候は法のこ()わりなり 『兵衛志殿御返事』 平成新編御書一一八三頁           
〈意訳〉 千年も集めた
苅茅(屋根ふきようの草)も、火にあえばすぐに燃え尽きて灰となる。百年かけてつくりあげた功積も一言で破れる。これは物事の道理である。(4月)
あひかまえて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『経王殿御返事』平成新編御書六八五頁 
〈意訳〉 心して信心を強盛にしてこの御本尊に祈念しなさい。何事も成就しないわけがあろうか。全て叶うのである。(3月)
 
 されば我が弟子等心身に法華経のごとく身命もをしまず修行して、此の度仏法を心みよ。 『撰時抄』平成新編御書八七一頁
〈意訳〉 されば我が弟子等試みに法華経に説かれているように、身命を惜しまず修行して、このたび仏法が真実であるかないかを試みてみよ。必ず大果報のあることがわかるはずである。(2月)
 只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来らぬ福やあるべき。『聖愚問答抄下』平成新編御書 四〇六頁
〈意訳〉 ただ南無妙法蓮華経とさえ唱えるならば消滅しない罪はなく、招来しない幸いもない。
(平成26年1月)
 月々日々につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。聖人御難事 平成新編御書一三九七

意訳 月々日々に奮い起(た)ちなさい。すこしでも油断する心があれば魔が近づいてくるであろう。(平成
   設(たと)ひいかなるわづらはしき事ありとも夢になして、只(ただ)法華経のみはぐらせ給ふべし。兄弟抄 平成新編御書九八七

意訳 たとえどのような煩わしい嫌なことがあっても、それらは夢の中のこととして、ただ法華経(御本尊)のことだけを思い続けなさい。(11月) 
法自(おの)づから弘まらず、人、法を弘むるが故に人法ともに尊し。百六箇抄 平成新編御書一六八七

意訳
法は自然に弘まらない。人が法を弘めるから、人も法も尊いのである。(10月)  
 功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり。御義口伝 平成新編御書一七七五頁

意訳  功徳とは六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)清浄の果報である。所詮今日蓮や弟子檀那が南無妙法蓮華経と唱えれば六根清浄となる。9月
  法華経を信ずる人のをそるべきものは賊人強盗夜打ち虎狼師子等よりも当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人人なり。兄弟抄 平成新編御書九八〇頁

意訳法華経を信ずる人の恐れなければならないものは、賊人・強盗・夜打ち・虎狼・師子等よりも、現今の蒙古の攻めよりも、法華経の行者の信心を悩ます人である。(8月)
  仮令強(たといごう)言(げん)なれども、人をたすくれば実語・軟語なるべし。設(たと)ひ軟語なれども、人を損(そん)ずるは妄語(もうご)・強言なり。『善無畏三蔵抄(ぜんむいさんぞうしょう)平成新編御書四四五頁

意訳  たとえ強い言葉であっても、人を助けるためであれば、真実の言葉であり、柔らかい言葉である。たとえ口調が柔らかく、耳当たりのよい言葉であったとしても、人を不幸に陥れるようなことを教えるとすれば、それは妄語であり、人を傷つける強言である。(7月)
   皆法華経のゆへなればはぢならず。愚人にほめられたるは第一のはぢなり。開目抄下平成新編御書五七七頁

意訳〉  全て法華経の信心の為に悪口罵詈されるのであれば、誉れでこそあれ恥ではない。仏法を知らない愚人にほめられることが第一の恥なのである。(大聖人・御本尊にほめられよう)(6月) 
  人に物をほどこせば我が身のたすけとなる。譬へば人のために火をともせば我が前あきらかなるがごとし。食物三徳御書平成新編御書一三二一頁

意訳人に物を施せば我が身を助けることになる。譬えば人のために火をともせば自分の前も明るくなるようなものである。(5月)
 法華経は、初めは信ずる様なれども後遂ぐる事かたし。松野殿女房御返事平成新編御書一四九五

〈意訳〉 法華経を初めは信ずるようであっても最後まで信じとおすことはむつかしいのである。(4月)
 我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。草木成仏口決平成新編御書五二二

意訳我等衆生が死んだ時に塔婆を立てて開眼供養するが、これが死の成仏であり、非情草木の成仏である。(3月)
当年の大厄をば日蓮に任させ給え。釈迦・多宝・十方分身の諸仏の法華経のお約束の実不実は是にて量るべきなり。太田左衛門尉殿御返事平成新編御書一二二四

意訳 あなたの当年五七歳の大厄は安心してこの日蓮に任せなさい。厄を払いのけてあげます。釈迦・多宝・十方分身の諸仏が法華経の会座で守護すると誓ったのであるから、それが履行されるかどうかは、あなたの厄が払い除かれることによって証明されるのである。(2月
  
 仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。法華初心成仏抄平成新編御書一三二一

意訳 仏するためには、驕(おご)りや偏(かたよ)った考えの心をなくし南無妙法蓮華経と唱えることが肝要なのである
 (平成25年1月
   (平成24年12月)一生が間賢(けん)なりし人も一言(いちごん)に身をほろぼすにや。兄弟抄』 平成新編御書九八三頁
意訳一生の間賢明であった人も話す一言で身を滅ぼすのである。
 
 この文は始めて我が心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名づく。所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経は大歓喜の中の大歓喜なり。『御義口伝』 平成新編御書一八〇一頁

 意訳 
法華経五百弟子授記品には「貧なる人此の珠を見て其の心大に歓喜す」と説かれている。この経文からはじめて自身の当体が本来仏であると知ることを大歓喜というのである。南無妙法蓮華経と唱えることは仏界の湧現であり、成仏を現していくから大歓喜の中の大歓喜である。
(11月)
 
 いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給ふべし 『四条金吾御返事』 平成新編御書一四〇七

 〈意訳 
どのように日蓮があなたの事を祈っても、肝心なあなたが御本尊を信じないならば、ぬれた口火に火を打ち掛けるようなもので、あなたの願いは叶わない。従って自らを励まして強盛に信力を出しなさい。 10月
 
 無妙法蓮華経と我も唱え、他をも勧(すす)めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。 『持妙法華問答抄』 平成新編御書三〇〇頁

 〈意訳 
南無妙法蓮華経と自身も唱え、他人にもそう勧めることこそが、人間として生まれてきた今生の思い出なのである。 (9月) 
 
 苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ。 『四条金吾殿御返事』 平成新編御書九九一頁

 意訳 
苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。 (8月)
 
 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来もまたしかるべし。是あに地涌の義に非ずや。 『諸法実相抄』 平成新編御書六六六頁

 〈意訳 
初めは日蓮大聖人一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人三人百人と次第に唱え伝えたのである。未来もまた同じであろう。これこそ地涌の義ではないか。 (7月)
 
 一生はゆめの上、明日をご(期)せず。いかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給ふべからず。 『四条金吾殿御返事』 平成新編御書一一六二頁

 〈意訳 
人間の一生は夢の上の出来事のように、はかないもので、明日の命も分からないものである。いかなる乞食になっても、法華経にきずをつけてはならない。 (6月)
 
 末代の凡夫、三宝の恩を蒙(こうむ)りて三宝の恩を報せず、いかにしてか仏道を成ぜん。然るに心地(しんじ)観(かん)経(ぎょう)・梵網経(ぼんもうきょう)等には仏法を学し円(えん)頓(どん)の戒を受けん人は必ず四(し)恩(おん)を報ずべしと見えたり。 『四恩抄』 平成新編御書二六八頁

 〈意訳 末代の凡夫は、仏法僧の三宝の恩を受けながら三宝の恩を報じようとしない。どうして仏道を成ずることができようか。そこで心地観経や梵網経などには、仏法を学び法華経の円頓(功徳が円満に具わり速やかに成仏を遂げる)の戒を受けた人は、必ず四恩(父母・衆生・国土・三宝の恩)を報じなければならないととかれている。 (5月)
 
 
  知者とは世間の法より外(ほか)に仏法を行(ぎょう)ず、世間の治世(ちせい)の法を能(よ)く能(よ)く心へて候を知者とは申すなり。  『減劫(げんこう)御書(ごしょ)』 平成新編御書九二五頁

 〈意訳 知者というのは、世間の法は世間の法として行じ、その根底に仏法を行じているということである。仏法を根本にして、世の中の法をよくよく心得ている人を知者というのである。
 (4月) 
 
 賢人(けんじん)は八風(はっぷう)と申して八つのかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・樂(たのしみ)なり。をゝ心(むね)は利(うるおい)あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。 『四条金吾殿御返事』 平成新編御一一七頁

意訳 賢人は、八風という八種の風に侵されない人を賢人というのである。八風とは利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・樂(たのしみ)の八つをいう。主旨は、望み通りことが成就した時でも喜ばない。反対に望み通りにならず不満・不足の時でも嘆かない等をいうのである。 (3月)
 
 但(ただ)在家(ざいけ)の御身(おんみ)は余念(よねん)もなく日夜(にちや)朝夕(ちょうせき)南無妙法蓮華経と唱(とな)へ候(そうら)ひて、最後(さいご)臨終(りんじゅう)の時を見させ給へ。松野殿御返事  平成新編御一一六九頁

 〈意訳 但(ただ)し在家(ざいけ)の御身は、謗法(ほうぼう)の他念なく、毎日朝夕に南無妙法蓮華経と題目を唱え、最後(さいご)臨終(りんじゅう)の時を迎えるよう心がけなさい。 (2月)
 
  法華経を二人・三人・十人・百千万億(ひゃくせんまんのく)人(にん)唱え伝うるほどならば、妙(みょう)覚(がく)の須弥山ともなり、大涅槃(だいねはん)の大海ともなるべし。仏になる道は此(これ)よりほかに又もとむる事なかれ。 『撰時抄 平成新編御書八六八

 〈意訳〉 法華経の題目を二人・三人・十人、さらに百千万億人の人が次第に唱え伝えていくならば、妙覚の極果(ごっか)の須弥山ともなり、大涅槃の覚りの大海ともなるのである。我々が仏になる道は法華経の題目を唱え伝えるということ以外に求めてはならない。
 (平成24年1月) 
 
 法華経と申すは随(ずい)自意(じい)と申して仏の御心(みこころ)をと(説)かせ給ふ。仏の御心(みこころ)はよき心なるゆへに、たとい(仮令)し(知)らざる人も此の経をよみたてまつれば利益(りやく)はか(計)りなし。『衆生身心御書』平成新編御書一二一二頁

意訳 法華経という教えは、随自意といって仏の御心、すなわち悟りをそのまま説かれた教えである。仏の御心は最善の心である故に、たとえこの意義を知らない人であっても、この経を読み奉るならば、その利益は計り知れないほど大きい。 (平成23年12月)
 
 大地はさゝばはづるゝとも、虚空(こくう)をつなぐ者はありとも、潮のみち(満)ひぬ(干)事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず。『祈祷抄』平成新編御書六三〇

意訳 大地を刺してはずれることがあろうとも、虚空をつなぎ合わせる者がいようとも、潮が満ち干ないことがあろうとも、日が西より出ることがあろうとも、法華経の行者の祈りが叶えられないことはあろうはずがない。(どのようなことがあっても、法華経の行者の祈りは絶対にかなうのである。(11月)
 
 夫(そ)れ以(おもん)みれば 末法流布の時 生(しょう)を此(こ)の土(ど)に受け此の経を信ぜん人は如来の在世(ざいせ)より猶多(ゆた)怨嫉(おんしつ)の難甚(はなは)だしかるべしと見えて候(そうろう)なり『如説修行抄』 平成新編御書五〇一頁

意訳 つらつら考えてみるに、この末法という三大秘法の南無妙法蓮華経が流布する時に、生をこの日本国に受け、この経をたもち、信行に励んでいく人に対しては、法華経法師品第十に「末法においては、釈迦在世よりも猶怨嫉が多いであろう」と、釈迦は多くの大難が競い起こることを予言しているのである。 (10月) 
 
 提婆(だいば)達(だっ)多(た)は阿鼻地獄(あびじごく)を寂光(じゃっこう)極楽(ごくらく)とひらき、竜女(りゅうにょ)が即身成仏(そくしんじょうぶつ)もこれより外には候はず。逆(ぎゃく)即(そく)是(ぜ)順(じゅん)の法華経なればなり。これ妙(みょう)の一字の功徳なり。『上野殿後家尼御返事』 平成新編御書三三七頁

 意訳 法華経を持つ人は、その功徳によって地獄を寂光土に転じていくのである・・・。提婆達多が阿鼻地獄を寂光土と開くことができたのも、竜女の即身成仏も、法華経を信ずること以外にはあり得ないのである。逆縁の衆生をたちまちに順縁にして救いきっていく法華経なればのことである。まさに法華経の妙の一字の功徳である。 (9月)
 
 御いの(祈りの叶ひ候はざらんは、弓のつよ(強)くしてつるはよは(弱)く、太刀(たち)つるぎ(剣)にてつか(使)う人の臆病なるようにて候べし。あへて法華経の御とが(失)にては候べからず。『王舎城事』平成新編御書九七四頁
   
意訳
 御祈念が叶えられないのは、弓は固い者の弦が緩く、
立派な太刀、剣をもちながら使う人が臆病であるのと同じである。法華経(南無妙法蓮華経の御本尊)への信仰が弱いのを棚に上げて、法華経のせいにしてはならない。 (8月)
 
 
 末代の悪人等の成仏不成仏は、罪の軽重に依らず、但(ただ)此の経の信不信に(の、は間違いです。)任すべし。『南部六郎三郎殿御返事』平成新編御書六八四頁

 〈意訳 末法の悪人等の成仏、不成仏は、罪の軽いか重いかによるのではなく、ただ、この法華経(御本尊)への信心があるかないかによって決まるのである。
(7月)
 
 この曼荼羅能(よ)く能(よ)く信ぜさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は獅子吼(く)の如しいかなる病さは(障)りをなすべきや。『経王殿御返事』平成新編御書六八五頁

意訳 この御本尊をよくよく信じられよ。南無妙法蓮華経は獅子のほえるようなものであり、いかなる病気も障害をなすことはできないのである。末法の悪人等の成仏、不成仏は、罪の軽いか重いかによるのではなく、ただ、この法華経(御本尊)への信心があるかないかによって決まるのである。 (6月)
 
 仏智の及ばぬ事何かあるべき、なれども法華の題名(だいみょう)受持の功徳ばかりは是を知らずと宣(の)べたり。法華一部の功徳は只(ただ)妙法等(とう)の五字の内(うち)に籠(こも)れり。 『聖愚問答抄』 平成新編御書四〇七頁

 〈意訳〉 仏の智恵の及ばないものはない。けれども法華経の題名(南無妙法蓮華経)を受持する功徳ばかりは、その大きさを知らないと述べている。法華経一部の功徳は、ただ妙法蓮華経の内におさまっているのである。 (5月)
 

其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。仏種は縁に従って起こる、是の故に一乗を説くなるべし。『米穀御書』 平成新編御書一二四二頁

意訳 其の国の仏法流布は、あなたにお任せする。仏種は縁によって起こるものである。この故に一乗の法である法華経を説くのである。(4月)
 
 忠言(ちゅうげん)は耳に逆らひ良薬は口に苦しとは先賢(せんけん)の言(ことば) なり。やせ病の者は命をきらう、佞人(ねいじん)は諌(いさ)めを用いずと申すな り。 『八幡宮(はちまんぐう)造営事(ぞうえいのこと) 平成新編御書一五五六頁

意訳 忠告する言葉は耳に逆らい(なかなか聞き入れられない)、 良い薬は口に苦いとは、むかしの賢人の言葉である。病身の者は、生きることを きらう(苦しみに耐えられず死んだ方がよいと思う)、心の曲がった人は、人の いさめを用いないといわれている。(3月)
 
 蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。この御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし。『崇峻天皇御書 平成新編御書一一七三頁
 
意訳 蔵に蓄える財(財産)よりも身の財(健康や身に備わる才能、技芸)の方がすぐれ、身の財より心の財(正しい信心、人格、人間性)が第一にすぐれている。 この御文を御覧になってからは心の財を積むようにしなさい。(2月)
 
 法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔より()かず()ず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫(ぼんぷ)となる事を。 『妙一尼(みょういちあま)御前御返事』 平成新編御書八三二頁)

 〈意訳 法華経の信心をしている人は、冬のような厳しい状態に置かれることになる。しかし、冬の次には必ず春が来る。昔から今に至るまで、冬が秋に戻る、などということは、聞いたことも見たこともない。それと同じように、法華経を信仰している人は必ず仏になることが出来るのである。不幸な凡夫に逆戻りする、などということはありえない。
(平成23年1月)
 
  (平成22年12月)水は寒(さむさ)積(つ)もれば水となる。雪は年(とし)累(かさ)なって水精(すいしょう)となる。悪積もれば地獄となる。善(ぜん)積もれば仏となる。 『南条殿女房御返事』 平成新編御書一二二七頁

〈通解〉 水は寒さが積もれば氷となる。雪は月日を重ねて水晶となる。悪が積もれば地獄となる。善が積もれば仏となる。※「古代中国では、水晶は千年を経た老氷や雪が化したものと考えられていた」
 
 いかなる事ありとも、すこしもたゆむ()事なかれ。いよいよはりあげてせむ()べし。たとい命に及ぶとも、すこしもひる()事なかれ。 兵衛栄殿(ひょうえさかん)御返事』 平成新編御書一一六六頁

〈通解〉 どんなことがあっても、少しも信心を弛めてはなりません。いよいよ声を張り上げて、(父上の信じている教えの間違いを)責めなさい。
 例え命に及ぶことが起ころうとも、少しでも怯んではなりません。(11月)
 
 悪の中の大悪は我が身にその苦をうくるのみならず、子と孫と末七代もでかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。 『盂蘭盆御書』  平成新編御書一三七七頁

〈通解〉 悪の中でも大悪とは、自分自身がその報いを受けるだけでなく、子供や孫さらには七代先まで苦しむことになる。善の中でも大善は、同じように(自分だけでなく末七代の眷属まで功徳が及ぶであろう。)(10月)
 
  敵はねらうらめども法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消え候か。是につけても能く能く御信心あるべし。 『四条金吾殿御返事』  平成新編御書一二九二頁

〈通解〉 敵は狙っているのだろうが、あなたの法華経への信心が強盛であるので、大難も、事の起こる前に消えたのであろうか。これにつけても、よくよく信心に励ん でいきなさい。(9月)
 
 
 正法を弘めん者、経教の義を悪しく説かんを聞き見ながら我もせめず、我が身及ばずば国主に申し上げても是を対治せずば、仏法の中の敵なり。 『聖愚問答抄下』 平成新編御書四〇四頁

〈通解〉 邪義邪教の者たちが、誤った教えをいろいろ説いているのを見ていながら、聞いていながら、自分自身も折伏せず、そしてさらに、もし自分の力が足りなければ、国主に申し上げてでもこれを退治しないのであれば、それは「仏法の中の敵」になる
(8月)
 
 法華経は草木を仏となし給ふ。いわうや心あらん人をや。法華経はの焼種(しょうしゅ)二乗を仏となし給ふ。いわうや生種(しょうしゅ)の人をや。法華経は一闡提(いっせんだい)を仏となし給ふ。いわうや信ずるものをや。 『上野殿御返事』 平成新編御書一三八〇頁

〈通解〉  法華経は草木でさえ成仏させることが出来ます。心のある人間なら言うまでもありません。法華経は仏になる種が燃えてしまい成仏不可能される、声聞・縁覚のひとでさえ成仏させることが出来ます。ましてや、仏になる種をもっている人なら言うまでもありません。法華経は仏法を信じず誹謗する者(堕地獄確定者)でさえ成仏させられるのです。ましてや信じている人なら言うまでもありません (7月)
 
 父母に御孝養の意あらん人々は法華経を贈り給ふべし。教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給ひて候。 『刑部左衛門尉女房御返事』  平成新編御書一五〇六頁

〈通解〉 父母に御孝養を尽くす気持ちのある人々は、法華経を贈りなさい。教主釈尊は、父母の御孝養をされるとき、法華経の功徳を贈られているからである。(6月)
 
  たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の(ともしび)は消えやすし。無益(むやく)の事には財宝を()くすに()しからず。仏法僧にすこしの供養をなすには是をもの()()く思ふ事、これたゞごとにあらず、地獄の使ひのきを()ふものなり。寸善尺魔と申すは是なり。 『新池御書』  平成新編御書一四五七頁


〈通解〉
たまたま人間に生まれた時には、名聞名利の風が激しく、仏道修行のは消えやすいものである。無益ことには財宝を使い果たしても惜しく思わないのであるが、仏法僧に少しの供養をすることをいやがることはただ事ではない。地獄の使が勇(いさ)み立っているのである。寸善尺魔というのはこれである。(5月)

 
 瞋るは地獄、貧るは餓鬼、癡かは畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人なり。他面の色法に於ては六道共に之有り、四聖は冥伏(みようぶく)して現はれざれども委細(いさい)に之を尋(たず)ぬれば之有るべし。 『観心本尊抄』 平成新編御書六四七頁

〈通解〉 瞋(いか)るは地獄界、貧(むさぼ)るは餓鬼界、癡(おろ)かは畜生界、諂曲(てんごく)なのは修羅界、喜ぶは天界、平らかなるは人界である。このように他人の相(そう)には六道(ろくどう)がすべてそなわっている。四聖は冥伏(みようぶく)していて現はれないけれども、くわしく探し求めるならば、必ずそなわっているのである。つも退せず信ずることである。
(4月)
 
 (そもそも)今の時、法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへ()()つばかりをも()へども、とをざかりぬれば()つる心あり。水のごとくと申すはいつもたい(退)せず信ずるなり。  『上野殿御返事』 平成新編御書一二〇六頁

〈通解〉 今の時、法華経を信ずる人の中に、或は火のごとく信ずる人もいる。
或は水のように信ずる人もいる。火のような信心というのは、聴聞した時には燃え立つ、時がたつと退退転の心・捨てる心が起こってくるのである。水のような信心とは、いつも退せず信ずることである。(3月)
 
 (しん)(みち)(みなもと)功徳(くどく)(はは)()へり。菩薩(ぼさつ)五十二(ごじゅうに)()には(じゅ)(しん)(もと)()(もろもろ)悪業(あくごう)煩悩(ぼんのう)不信(ふしん)(もと)() す。『念仏無間地獄抄(ねんぶつむけんじごくしょう) 平成新編御書三十八頁

〈通解〉 信は仏道の根源であり、功徳を生ずる母であるという。菩薩の修行の位(くらい)である五十二位においては、十信を本とし、十信の位では、信心をはじめとしている。また、もろもろの悪業や煩悩は不信を本とするのである。
(2月)
 
 悪知識と申すは甘くかたらひ(いつわ)()(ことば)(たく)みにして愚癡(ぐち)の人の心を取って善心を破るといふ事なり。 『唱法華題目抄』 平成新編御書二二四頁

〈意訳〉 悪知識というのは、甘い言葉で語りかけ、いつわり、こび、言葉巧みに、愚かな人の心を取って、善心を破るということである。(平成22年1月)
 
 法華経を余人の()み候は、口ばかりことば()ばかりは)めども心は()まず、心は()めども身に()まず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。『土籠御書平成新編御書四八三頁

〈通解〉法華経を他の人が読む場合においては、口先ばかり、単なる言葉はかりとしては読むけれど、心では読んでいない。たとえ心では読んでいても、自分のみにあてはめて読んでいない。色心の二法にわたって法華経を読まれたことこ最も貴いのである。(平成21年12月)
 
 (すべ)て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。(よろい)を著たる兵者(つわもの)は多けれども、(いくさ)に恐れをなさゞるは少なきが如し。『松野殿御返事』平成新編御書一〇四九頁

〈通解〉すべて凡夫の菩提心(悟りを求める心)は悪縁にたぼらかされることが多く、事にふれて移りやすいものです。鎧を着た兵士は大勢いるが、戦いになったとき恐れないものは少ないようなものであります。(11月)
 
 (それ)人身を()くる事はまれなり。(すで)にまれなる人身をうけたり。又あひがた(値難)き仏法、是又あへり。同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる。結句題目の行者となれり。まことにまことに過去十万億の諸仏供養の者なり。『寂日房御書平成新編御書一三九三頁

〈通解〉人間として生まれてくることは希である。すでにその希である人身を受けているのであり、そのうえにまた、あいがたき仏法ににもあったのである。その同じ仏法の中にも、法華経の題目に巡りあうことができて、ついに題目の行者となった。あなたはまことに過去世に十万億の」諸仏を供養した宿縁深厚の人である。(10月)
 
 しを()()ると()つと、月の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。凡夫の仏にな又かくのごとし。必ず三障四魔と申す(さわ) りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり。 『兵衛志殿御返事 平成新編御書一一八四頁

〈通解〉
潮が干るときと満るときと、夏・秋・冬・春の四季の変わり目には、必ずそれまでとは違いが表れるものである。凡夫が仏になるときも又これと同じで、必ず三障四魔という障害が起こってくるのであり、このような障魔が現れてきたとき、賢者は喜び、愚者はおそれて退くのである(9月)
(およ)そ仏法と云ふは、善悪の人をゑらばず、皆仏になすを以て最第一に定むべし。是程の理をば何なる人なりとも知るべきなり。『星名五郎太郎殿御返事』平成新編御書三六四頁

 〈通解〉
およそ仏法というのは、善人、悪人をえらばず、すべての人を成仏させることのできる教えを最第一に定めるべきである。。これほどの道理はいかなる人であっても知るべきことなのである。(8月)  
不思議の日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり。父母となり其の子となるも必ず宿習なり。『寂日房御書 平成新編御書一三九三頁

〈通解〉このような日蓮を生んだ父母は日本国の全ての人々の中にあっては、大果報の 人です。父親となり母親となる、子供として生まれる、このことは過去世におい て積んだ善悪の行いによって定められたものです。(7月) 
 今此の所も此くの如し。仏菩薩の住み給ふ功徳聚(くどくじゅ)(みぎり)なり。多くの月日を送り、読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空(こくう)にも余りぬべし。然るを毎年度々(たびたび)の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。(いよいよ)はげむべし、はげむべし。 『四条金吾殿御返事』  平成新編御書一五〇二頁

〈通解〉
今この所(法華経の行者の所住の地。大聖人当時の身延山、現在は総本山大石寺)も、珠玉の多い蓬莱山(ほうらいさん)栴檀(せんだん)の生ずる摩黎山(まりせん)などと同じように、仏菩薩が住まわれている功徳の聚(あつま)った国土である。法華経を読誦して多くの月日を送り、読誦した法華経の功徳は虚空(こくう)に満ちているであろう。それを毎年たびたびの御参詣によって、無始の罪障も定めて今生一世に消滅するであろう。いよいよ励んでいきなさい。 (6月)
日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、(なお)(たと)へにあらず。か()こきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし。 妙法尼御前御返事 平成新編御書三十八頁


〈通解〉私日蓮は、幼少の時から仏法を学んできたが、念願したことは「人の寿命は無 常である。出る息は入る息を待つことがない。風の前の露というのは単なる譬え ではない。賢い者も愚かな者も、老いた者も若い者も、いつどうなるかわからな いのが世の常である。それゆえ、まず臨終のことを習って、後に他のことを習お う」というものである。 7月 『寂日房御書』  不思議の日蓮をうみ出だせし父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人なり 。父母となり其の子となるも必ず宿習なり。(5月)  
像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり。 三大秘法稟承事 平成新編御書一五九四~五頁

〈通解〉南岳大師や天台大師が「南無妙法蓮華経」と法華経の題目を唱えましたが、自 らの修行を目的とした題目であり、人々を教化する「化他」の題目ではありませ んでした。これは理行なのです。それに対し、日蓮が末法に唱える題目は前代と は違った題目です。どのように違うかといえば、自行と化他とが共に具わった題 目なのです。自らが成仏するためだけではなく、周りの人々の成仏も同時に実現 することの出来る南無妙法蓮華経の題目なのです。(4月)
  
教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の(あいだ)は諸仏入定(にゅうじょう)(ところ)なり、舌の上は転法輪の所(のんど)は誕生の処、口中(こうちゅう)正覚(しょうがく)(みぎり)なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。 『南条殿御返事』 平成新編御書一五六九頁

〈通解〉教主釈尊の一大事の秘法(本門の本尊)として霊鷲山にて相伝し、日蓮の肉団の胸中に秘して隠し持っている。であれば日蓮が胸の
は諸仏入定であり、舌の上は諸仏が法論を転ずる所、(のど)は誕生の処、口中正覚の悟りを開く場所である。このようなう思慮を絶した尊い法華経の行者が住むところであるので、どうして霊山浄土に劣ろうか(3月) 
三十三のやく()は転じて三十三のさいは()ひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是なり。年はわか()うなり、福はかさ()なり候べし。 『四条金吾殿女房御返事』 平成新編御書七五七頁

〈通解〉三十三の厄(やく)はかえって三十三の福となるでありましょう。 「七難即滅・七福即生」というのはこのことです。年は若くなり、福運は重なっ ていくことでしょう。(2月) 
 正月の一日は日のはじめ、月の始め、とし()のはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさして()つがごとく、日の東より西へわたりてあき()らかなるがごとく、とくもまさり人にもあい()せられ候なり。『十字御書平成新編御書一五五一頁

〈通解〉正月の一日は日の始めであり、月の始めであり、年の始めであり、そして春の 始めであります。これを正法をもって祝う人は、月が(その出る位置が)西から 東に向かうにしたがって満ちるように、また日が東から西へ渡って行くにしたが って明らかになるように、徳も勝り、また人々にも愛されるのです。 2月 『四条金吾殿女房御返事』  三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生 とは是なり。年はわかうなり、福はかさなり候べし。
(平成21年1月)
世間・出世善き者は乏しく、悪き者は多き事眼前なり。然れば何ぞ(あなが)ちに少なきをおろかにして多きを詮とするや。土沙は多けれども米穀は希なり。木皮は充満すれども布絹は些少(さしょう)なり。汝只正理を以て(さき)とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ。『 聖愚問答抄 』平成新編御書 四〇二頁

〈通解〉世間のうえからも出世間のうえからも、善人は少なく、悪人が多いことは、目に見えて明らかである。そうであるならば、どうして信じている数が少ないことを卑しみ、多いことを価値あるものだとするのか。土砂は多いけれども、米穀は稀である。木の皮はたくさんあるが、布絹はわずかである。あなたは、ただ正しい道理を第一とすべきであり、別して信じている人数が多いかどうかを判断基準にしてはならない。
平成20年12月 

心は日蓮に同意なれども身は別なれば、()同罪(どうざい)のがれがたきの御事に候に、主君に此の法門を耳にふれさせ(まい)らせけるこそありがたく候へ。今は御用ひなくもあれ、殿の御(とが)(のが)れ給ひぬ。『主君耳入此法門免与同罪事』平成新編御書七四四頁

〈通解〉あなたは、心は私(日蓮)に同意していても、身体(からだ)は謗法の主君に(つか)える身であるため、与同罪からは(のが)れられない立場にあった。しかし、主君に対してこの法華経の法門を説いて聞かせたことは、まことに尊いことである。主君は今は信心をしなくても、主君を折伏したことにより、あなたは与同罪を(まぬが)れることができたのである。(11月 
法華経の行者は信心に退転無く身に詐親(さしん)無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、(たし)かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり。『最蓮房御返事』平成新編御書六四二頁

〈通解〉法華経の行者は、信心に退転なく身に(いつわ)りの親しみなく、すべてを法華経にその身を任せて金言のとおりするならば、慥かに後生は言うに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得て、広宣流布の大願も成就することであろう。(10月
 
願はくは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん。我を(たす)くる弟子等をば釈尊に之を申さん。我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を(まい) らせん。『顕仏未来記』平成新編御書六七八頁

〈通解〉ただひたすら願うことは、私を迫害し損(そこ)なおうとする国主たち
をまず最初に導こうということである。私を支(ささ)えてくれる弟子たちのことを、まず釈尊に申し上げよう。私を産(う)んで下さった両親た
ちには、まだ生きているうちにこの大善の功徳を差し上げたい。9月) 
わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。(中略) 法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし。影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげの()うがごとくわざわい来たるべし。法華経を信ずる人はせんだんにかを()ばしさのそなえたるがごとし。『十字御書』平成新編御書一五五一頁

〈通解〉災いは口より出でて自分の身を破る。幸いは心より出でて我を飾る。(中略) 今また法華経を信ずる人は、幸いを万里の外より招き集めるであろう。影は体より生じているように、法華経を敵とする人の国は、体に影が添うように災いが現れるであろう。これに対して法華経を信ずる人は、最上の香木である栴檀(せんだん)が極上の薫香(くんこう)を具(そな)えているように、幸福の果報が顕(あらわ)れるであろう。8月) 
願はくは「現世安穏後生善処(げんせあんのんごしょうぜんしょ)」の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後生の弄引(ろういん)なるべけれ。(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも(すす)めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。持妙法華問答抄平成新編御書三〇〇頁

〈通解〉 願わくは「現世は安穏であり、後世には善処に生まれる」と仰せの妙法を持つことのみが、今生の真の名聞であり、後世の成仏への手引きとなるのである。すべて心を一つにして、南無妙法蓮華経と我も唱え、人にも勧めることが、人間としての今生の思い出なのである。(7月
  

云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていまし()めざる事、眼耳の二徳(たちま)ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく「慈無くして(いつわ)り親しむは即ち(これ)彼が怨なり」等云云。重罪消滅しがたし。阿仏房尼御前御返事 平成新編御書九〇六頁

〈通解〉 折伏をすることによって過去遠々刧の罪障を消滅することができるものを、謗法の者を見たり聞いたりしているにもかかわらず、自分の判断で誡めないのは、自分自身の眼耳の二徳も破れ、また相手に対しても大無慈悲となる。章安大師は、「慈悲の心なく、謗法の者に話しもせず、うわべだけ付き合う事は、かえって怨となってしまう」等、仰せである。これは重罪であり、この罪は消えがたいのである。(6月 

 
此の経を()()くる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来れども「憶持不忘(おくじふもう)」の人は(まれ)なるなり。受くるはやす()く、持つはかた()し。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に()ふべしと心得て持つなり。 『四条金吾殿御返事』 平成新編御書七七五頁

〈通解〉 この経(法華経)を聞いて信じる人は多い。しかし、大難が来た時に、聞き受けた通りに心に銘記して忘れない人はまれである。「受ける」ことはやさしく、「持つ」ことは難しい。しかるに、成仏は持ち続けることにある。5月)  
今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生(りしょう)(とく)(やく)有るべき時なり。されば此の題目には余事を交へば僻事(ひがごと)なるべし。此の妙法の大曼荼羅を身に(たも)ち心に念じ口に唱へ奉るべき時なり。『御講聞書』平成新編御書七七五頁

〈通解〉現在、末法は、南無妙法蓮華経の五字・七字の題目を弘めることによって、すべての衆生が成仏の大利益を得るべき時代である。そうであるから、成仏のための正行(しょうぎょう)である南無妙法蓮華経に、他の教法や修行を雑えるのはまちがいである。この南無妙法蓮華経の大曼荼羅御本尊を受持し、身口意(しんくい)の三業(さんごう)をもって、心で念じ口で唱え、全身で信心修行申し上げていく時なのである。(4月)  
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ(やぶ)れんや。国に衰微(すいび)無く土に破壊(はえ)無くんば身は(これ)安全にして、心は是禅定ならん。此の(ことば)此の(こと)信ずべく(あが)むべし。立正安国論』 平成新編御書二五〇頁

〈通解〉貴方は一刻も早く邪法に対する信仰の心を改めて、速やかに最高の大善である実大乗の法華経に帰依しなさい。そうすれば迷いの多いこの世界は皆仏国土となるのである。仏国土がどうして衰えることがあろうか。仏国土の全体はすべて宝の国土である。この宝の国土がどうして壊れようか。国土に衰退や破壊がなければその処に居住する人々の身は安全であり心は平安である。この言葉を信ずるべきであり、崇めるべきである。
(平成20年3月)                              
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