ホーム > 御住職の法話目次  御住職の法話 (第311号)  
   
 
  【只南無妙法蓮華経とだにも唱え奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福や有るべき。真実なり甚深なり】

 
  息災延命の功徳について
 
 
 【息災延命とは】
 息災とは災いを息めること、身の恙ないことなどをいいます。延命とは寿命が延びることです。つまり、息災延命とは、いかなる災難にも左右されず、絶対的な幸福の境界に安住している状態のことをいいます。真の息災延命とは、妙法を根本とした修行によってのみ得られる境界です。
 日蓮大聖人は『最蓮房御返事』に
 「仰せを蒙りて候末法の行者息災延命の祈祷の事。別紙に一巻註し進らせ候。毎日一辺欠如無く読誦せらるべく候。日蓮も信じ始め候し日より毎日此等の勘文を誦し候ひて、仏天に祈誓し候によりて、種々の大難に遭ふと雖も法華経の功力、釈尊の金言深重なる故に今まで相違無く候なり」(御書642頁)
と仰せです。 
 最蓮房はもと天台宗の僧侶でしたが、佐渡島で大聖人にお会いし御法門をお伺いする機会を得てから、天台の教えを捨てて大聖人に帰依した人です。
その最蓮房が大聖人に息災延命の御祈念をお願いすると、大聖人は御書を認められ、毎日の勤行の折りに御祈念するよう勧められました。 そして、大聖人御自身も常に息災延命の御祈念をなされることで、身にふりかかる種々の大難に遭うも、妙法の功徳力によって何ら支障なく日々を過ごされていることをお示しになられています。

 【お題目を唱えることの功徳】 
 大聖人が最蓮房に御書を授けられたといっても、南無妙法蓮華経のお題目を唱え奉る正行を根本としなければ本来の力用は現れません。 
 『法華題目抄』に
 「させる解はなくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば、悪道まぬかるべし」(御書354頁)
とあります。
 また、『聖愚問答抄』には
 「只南無妙法蓮華経とだにも唱え奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし」(御書406頁)
と仰せられ、末法の智慧なき荒凡夫であっても、唱題に励む事によって、地獄・餓鬼・畜生などの悪道に堕ちることはなく、あらゆる罪障を消滅し、幸せを成就できるとの御教示です。
さらに『一生成仏抄』にも
「譬へば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき。只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」(御書46頁)
とお示しで、正しい御本尊に対する日々の唱題の大切さが拝せられます。
 かつて御隠尊日顕上人猊下は平成8年1月1日、新年の辞において
「御本尊の妙法七字には、一切の文化、一切の心情心理、一切の生活の要諦が悉く篭もっており、信じ行ずる人は必ず、その個々の情況と境遇に従って適切な、また不思議の功徳を得て仏力法力の加護を感じます。皆様の口より出て天地に響く唱題は、必ず自他に大利益を齎すのであります」(大白法 平成8年1月1日号)
と御指南され、また、
 「常に大聖人様、南無妙法蓮華経と唱えることが末法の一切衆生の真の即身成仏の道であることを御指南でありますから、楽しい時も、うれしい時も、悲しい時も、苦しい時も、あらゆる問題にぶつかった時、真剣に唱題をすることによって一切の道が開かれていくことを我々が体験し、また、その確信がなければなりません」 (大白法平成8年 1月16日号)
とお述べになられて、本門の本尊を信じて唱題するところに、一切の道が開かれ、その功徳は大利益を生むことを御指南下されます。 
 先に引用した『最蓮房御返事』には続いて 
 「法華経の行者は信心に退転無く身に詐信無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」(御書642)
との仰せを拝することができます。 
 日蓮正宗の信徒たる以上、決して退転することなく、信心も生活もその一切を仏様のお示し通りに修行することが大切です。そうすれば、後生は勿論のこと、今生も絶対的な幸福境界に安住することができるのです。さらには、個々の福徳溢れる信心と振る舞いによって、折伏教化が行き渡り、広布の大願が成就するのです。 私達は、この日蓮正宗という信仰をできる家に生まれまして、そこにおいて、この正しい仏法を護持する者として信仰をしています。
 この日蓮正宗が絶えることなく真っ直ぐに今に至っているというのは、やはり大聖人様のその七百年前の時代と現在の私達の時代と、全くその寸分の違いもなく、大聖人様の教義を受け止める私達が南条時光殿や四条金吾殿と同じ気持ちで、御歴代の御法主上人猊下様の元で、同じように信仰を貫いているからです。
 時代背景とか食べる物とかは違いますけれども、私達が今現在受けているという苦しみを、御書を通して自分の身に当てて考えてみますと、全くその違いが無いことに気付きます。
 大聖人様の時も末法であったわけですし、また私達も現在、同じ末法の世に生れてきているわけであります。末法は万年と言われまして、永遠に末法は続いていきます。
 その中において、大聖人様は、経文の予証の通りにお振舞いになり、この末法の時代の衆生をことごとく救済される御本仏として、御本尊を顕わされ、そして私達に授けて下さいました。
 ですからこの御本尊を受持して、どこまでも信心を全うしていくことが、この末法においての正法を護持するということになってくるのです。
 信心を怠らず、偽らず、仏様に身を任せる。これは簡単なようで非常に難しい事です。なぜなら、我意・我見が少しでもあれば、この境界に至ることは出来ないからです。
 信仰は、自分対御本尊様ですから、仏様の眼を欺くことは出来ません。一切を御本尊にお任せして、日夜、御金言のごとく正直に自行化他の修行に励むことこそ最も大切であり、そこに現当二世にわたる磐石な境界を築く、「息災延命」の功徳が顕れるのです。
 一般世間では、また色々な評論家等が、本当の仏法を知らずに、ごく浅い教学や、ほんの一部の上っ面を見ただけで、日蓮正宗はどうだとか、こうだとかということを言っているわけでございます。そういうものに迷わされていますと、本当の日蓮正宗の姿というものを見失ってしまいます。
 現在でも、創価学会と日蓮正宗の区別もつかず、信仰自体に偏見と不信感を持つ世間の非難・中傷が多い中にあっても、世界的に見て、折伏が少しづつ進んでいるという現実を知ってください。
 ここ慈本寺にも、縁あってブラジル・アルゼンチン・台湾・インドネシアの御信徒が御参詣くださいました。 
 宗門が一丸となって折伏に励んでいる今、やはり魔の力というのは大きいと思います。
 それに打ち勝ってこそ、私達が今現在、この時期に、大聖人様の御生誕八百年の佳節に生きていることの意義が、いっそう明らかになるわけです。
 この世に、そして今現在、我が命を受けてここにいるというのは、それぞれの方々が、皆それぞれの使命を持っているわけですから、その使命というものをよくよく分かって、魔に打ち勝って、そして再来年の記念行事に向かって頂きたいと思います。
 御法主日如上人猊下は
 「『立正安国論』にお示しのように、正報たる我々衆生が一切の謗法を捨てて、三大秘法の随一、本門の本尊に帰依し奉れば、その不可思議広大無辺なる妙法の力用によって、我ら衆生一人ひとりの生命が浄化され、それが個から全体へ、衆生世間に及び、社会を浄化し、やがて依報たる国土世間をも変革し、仏国土と化していくのであります。
 反対に、我々衆生の生命が謗法の悪法によって濁れば、その濁りが国中に充満して、依報たる国土の上に様々な変化を現じ、天変地夭となって現れてくるのであります。
 この原理を体して、真の世界平和と仏国土実現のために身を賭していくのが我ら本宗僧俗の大事な使命であります。
 結局、今回のような大災害を防ぐためには、一日でも早く、また一人でも多くの人に、大聖人様の三大秘法の仏法を下種し、折伏していくことが最も肝要なのであります。」 (大日蓮 平成二十三年九月号65頁)
と、純粋なる僧俗の揺るぎない信行によって、必ず仏国土の建設は成就するという確信を披瀝されておられます。
 そして、我々僧俗の使命は重大であると仰せ下さっております。
 その源泉はとりもなおさず、御本尊への無二の信心と、日々怠りない勤行・唱題を根本にした自行化他に亘る信心修行から生まれる息災延命の功徳であることを、忘れてはなりません。
 どうか周りのありとあらゆる雑音に惑わされることなく、この日蓮正宗の正しい仏法を、また、一閻浮提第一の正しい御本尊を受けているのだという気持ちを持って、一人ひとりの使命の重要性を認識され、しっかりと信心を貫いていって頂きたいと切に願うものであります

 
     
 
   令和元年九月度 御報恩御講拝読御書

 
生死(しょうじ)一大事(いちだいじ)血脈抄(けつみゃくしょう) 文永九年二月十一日  五十一

 
(そう)じて日蓮(にちれん)がでし弟子(でし)(だん)()(とう)自他(じた) ()()(こころ)なく、水魚(すいぎょ)(おも)ひを ()して異体同心(いたいどうしん)にして南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)(となへ)(たてまつ)(ところ)を、生死(しょうじ)一大事(いちだいじ)血脈(けつみゃく)とは()ふなり。(しかも)(いま)
日蓮(にちれん)弘通(ぐつう)する(ところ)所詮(しょせん)(これ)なり。
()(しか)らば広宣流布(こうせんるふ)大願(たいがん)(かな)ふべき(もの)か。(あまつさ)日蓮(にちれん)弟子(でし)(なか)
異体異心(いたいいしん)(もの)(これ)()れば、(れい)せば城者(じょうしゃ)として(しろ)(やぶ)るが(ごと)し。(御書五一四㌻五行目~七行目)

 
 
        住 職  () (はし)  (どう)  (ほう)  


 
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