ホーム > 御住職の法話目次  御住職の法話 (第319号)  
   
 
  【飢渇は大貧よりをこり、やくびゃうはぐちよりをこり、合戦は瞋恚よりをこる】
 
   修羅界からの脱却
 
  無責任なテレビ報道】

 コロナ()の影響で、政府による自粛要請が続く中、みなさんもテレビ視聴する機会が増えたことと思います。
 一日の大半を占める報道番組は、タレントと専門家と称する人達が好き勝手に文句ばかり言い、混乱やデマの助長を無責任にしています。
 コロナウィルスがまだ今ほど蔓延していなかった当時、「コロナウィルスは人から人へは感染しない」「致死率はインフルエンザの方が上」等と繰り返し放送されました。
 常に最新情報に触れているのに、テレビ局内でクラスター感染が起きていました。
 不用意に、ずっとテレビばかり見ていると、コメントする人達の貪瞋痴の命に影響され、自分の命も濁り、正常な判断が出来なくなってしまうのではないでしょうか。

 
【間違った正義】

 
もう一つ危惧することは、いつ我が身もコロナウィルスに感染するか知れないのに、「感染者叩き」が横行しているということです。
 ソーシャルメディアやネット掲示板では、感染者の氏名、住所、学校や職場などをさらして拡散する動きが活発になっており、脅迫や、家に石を投げられたり落書きをされるケースもあるようです。
 世界中が目に見えないウィルスによって、大混乱に陥り、コロナウイルスに感染するよりもはるかに多くの方の心が病んでいるように見えます。

 芥川龍之介は、『侏儒(しゅじゅ)の言葉』で次のように述べています。
 「正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるものであろう。正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。」
とあります。
 人は、真偽はどうあれ、自分が正義の側に立ったと思ったときは、容赦なく悪と見なした者を叩くものです。自分に正義があると酔いしれていますから、悪とみなした者に対しては、どんな制裁をしても許されると勘違いしてしまうのです。

 ですから、コロナ関連で、『他県のナンバープレートを付けている車』と言うだけで嫌がらせをするのは、犯罪であり異常な行為ですが、その人の判断基準からすると、義憤(ぎふん)()られてやっているだけであり、これは全て正義で、許される行為だと思い込んでいます。これは、実に恐ろしい事です。


 
創価学会が破門された当時、宗門の僧侶や家庭、脱会者へ様々な嫌がらせをして来ましたが、思考は同じです。むしろ、組織によって洗脳されているだけに悪質で、始末が悪いのです。
 
 
今、多くの方が生まれてこの方、経験したことの無いウィルスの流行によって、不自由な生活を強いられ、ストレスを感じています。
 多くの人が、そのストレスの原因は、政府や感染者が自分にもたらしていると信じています。
 だから感染者や自粛要請を無視して自由に振る舞う人を、容赦なく攻撃します。
 攻撃をすると、一時的にその人はスッキリします。
自分の立場を確保できた事で、真面目に自粛している自分への安心感や優越感を得ます。
 しかし、世の中が治まっていない以上、すぐに恐怖や不安に(つぶ)されそうになります。そうしてまた自信や生活を脅かされる恐れから、他人を攻撃するのです。まさに今、国中が修羅界なのです。

 【修羅の命について】

 大聖人様は『十法界明因果抄で、『摩訶止観』を引用され、人間の命にある修羅界についてこう説かれています。
 「修羅界の者は、常に勝とうとしており、自分より勝れている人のことの悪口を言って自分がいかに優れているかを吹聴する。このような様は、(わし)(たか)のように力がない(とび)が、さも力があるように見せかけ、上空から見下しているのとなんらかわりがない。
 しかも、外に向かっては、『仁・義・礼・智・信』を具えているように振る舞う。このような見せかけだけの『下品(げぼん)の善心』から常に勝とうという修羅の道を歩んでいるのである。(御書208頁・趣意)と仰せです。
 修羅の特徴として、自分と他者を比較し、常に他者に負けまいと思っています。
 他人と自分を比べて、自分が優れて他人が劣っていると思う場合は、慢心を起こして他人を軽んじます。
 そして、他者の方が勝れていると思う場合でも、他者尊敬する心を起こすことができません。
 また、本当に自分よりも弱いものと出会ったときには、卑屈になって(へつら)う。自分をいかにも優れたものに見せようと虚像(きょぞう)をつくるために、表面上は人格者善人をよそおい謙虚(けんきょ)なそぶりこそぶりすらみせることもありますが、内面では自分より優れたものに対する(ねた)みと(くや)しさに満ちているのです。
 『観心の本尊抄』では
 「諂曲(てんごく)なるは修羅」(御書241頁)
と仰せです。
 「諂曲」とは自身の本音を隠して相手に迎合(げいごう)していくことを言います。
 強い自我意識にとらわれているため物事を正しく見ることができず、また(おのれ)を高くするため他との争いに(おちい)る生命状態をいいます。
 また、五常とは儒教で説く人が常に守るべき五つの道いいます。
①仁…すべてのものに親しみ、いつくしみ、思いやりを持つこと
②義…人間の行うべき筋道
③礼…社会の秩序を守るための生活の規範
④智…物事を理解し、善悪弁別する働き・能力
⑤信…(あざむ)かないこと、言を違えないこと、まこと
の五つを言います。

 五常は、儒教では常に守らなければならない五つの項目です。大聖人様は、このようなことを守っているように見せかけても、中身がなければ、それは上・中・下とある中で最も下に位置する善心であると仰せです。

 
さらに大聖人様は『秋元御書』に、「(いくさ)起これば其の国修羅道と変ず」
と仰せです。国に争い事や戦争が起これば、その国は修羅界になります。
 また『新池御書』に、
(いくさ)起これば其の国修羅道と変ず」(御書1450頁)
と仰せです。国に争い事や戦争が起これば、その国は修羅界になります。
 また、『新池御書』にも、
「修羅は闘諍なり」(御書1456頁)
とも御教示です。
人の心に修羅が生まれれば、喧嘩が起こり争いが絶えません。
 大聖人様の教えを正しく実践していけば、修羅の命を止めていくことが出来ます。修羅に落ちた生命活動を冷静にさせ、御本尊様にお題目を唱えて行く言動へと変え、成仏の種へと変化させます。
 修羅界の命は、特に良心的で善心を覗かせることがあります。第一印象で優しそうに見えても、豹変して修羅の形相になる人は、正しく修羅界の生命です。
 更に修羅界の生命について『佐渡御書』に、
 「おご(驕)る者は必ず強敵に値ひおそるゝ心出来するなり。例せば修羅のおごり、帝釈にせ(攻)められて、無熱池(むねつち)(はちす)の中に小身と成りて隠れしが如し」(御書579頁)
と仰せです。
 争いが好きで強い者にはへつらい、曲がった生命が修羅界の命です。地獄・餓鬼・畜生と修羅を合わせて「四悪趣」といい、悪童へ通じる道です。御本尊様を信じ、唱題することでしか、その道を塞ぐことは出来ません。
 これらから分かることは、ワイドショーを見ながら、コメンテーターと一緒になって政府や自粛しない人達へ文句を言っても何も解決はしません。かえって、自分の命にある修羅界が盛んになるだけなのです。

 『立正安国論』には、一国謗法のゆえに起こる国難の三災として、
 
 ①穀貴(こっき)…食糧難
 ②兵革(ひょうかく)…戦争
 ③疫病(えきびょう)…伝染病
 を挙げらています。
 この三災が現実に起こっているのです。
 中国はコロナの責任を負うべきだとの論調も国によっては出始め、兵革(戦争)の難まで起こりそうな勢いです。


【韓国の現状と御信徒の姿勢】
 
Facebookにて、他支部の方よりソウル布教所に所属する日本人の御信徒が、韓国でコロナウィルス感染者を抑え込めている現状や、御信徒の取り組みを書き込んだ投稿内容をおしえていただきましたので、かいつまんで紹介いたします。

《日本では韓国と比較して上から目線でいますが、韓国の人達は今回のコロナ渦で、『共に打ち勝とう』
『力を合わせれば乗り越えられる』
『国民の力で共に乗り切ろう』
と言った(うた)い文句を掲げて、前向きにコロナと向き合い、乗り越えているそうです。
 一方、日本は韓国と違って、どこまでも政府のせいにしていると感じるそうです。
 韓国では、毎週の様に政府から携帯電話に『自粛しましょう』のメッセージが流れてきますが、国民から愚痴や不満は聞こえず、むしろ、お互い励まし合っているそうです。
 買い占めなども、一度も起きたことが無く、国民全体が暗黙のうちに一致団結していると感じるそうです。
 そして彼女は
 「日本の皆さん、どうか、政治家や政府への不満、愚痴はそこまでにして、今こそ心をひとつに、皆で協力しあってほしい。
何より、日本は大聖人がお生まれになった国、大聖人様の眷属が各地に点在している国です!
必ず、『異体同心』でこの危機を乗り越えられると信じています。」と訴えかけます。
 こんな状況下ですが、布教所が自粛で閉門してからでも、ほぼ毎日の様に御受戒があるそうです。
 自粛期間中でも、折伏の足は止まりません。ソウルのメンバーの熱さと参詣できなくとも、変わらぬ異体同心の姿がそこにあるのです。
 今年の折伏目標842名のところ、すでに650名をこえてきたそうです。
 コロナを吹き飛ばす勢いがそこにはあります。

 そしてこの方は最後に
 「まずは自分から変わろうって思います。世界を変えるために・・・」と(つづ)られておりました。》

 謗法の罪によってこの国難が引き起こされている以上、国難を乗り越える道は破邪顕正(はじゃけんしょう)の慈悲行しかありません。
 政権与党に、最も質の悪い謗法集団が推す政党が関わっているのですから、不透明なアベノマスクの発注問題を始め、政治が混迷を極める事は、大聖人様の教えからすると、むしろ当然の成り行きなのです。
 私たちが国民の一人として、社会の安寧(あんねい)を願うのは当たり前の事です。
 その上で、これはある意味では、魔と我々正法の行者との戦いなのです。
 今こそ、私たちは心を一つにしてコロナウィルスの一日も早い終息を願い、唱題を根本に魔を打ち破り、修羅道に堕ちている人々を救っていこうではありませんか。


 

 令和二年五月度 御報恩御講拝読御書

  
如説修行抄(にょせつしゅぎょうしょう)  文永十年五月 五十二歳
 
 
末法(まっぽう)の始(はじ)めの五百歳(ごひゃく)には純円(じゅんえん)一実(いちじつ)の法華経(ほけきょう)のみ広宣流布(こうせんるふ)の時(とき)なり。此(こ)の時(とき)は闘諍堅固とうじょけんご)・白法(びゃくほうおんもつ)隠没の時(とき)と定(さだ)めて権実(ごんじつ)雑乱(ぞうらん)の砌(みぎり)なり。敵(かたき)(あ)る時(とき)は刀杖(とうじょう)弓箭(きゅうせん)を持(たも)つべし、敵(かたき)(な)き時(とき)は弓箭(きゅうせん)兵杖(ひょうじょう)なにかせん。今(いま)の時(とき)は権教即実教(ごんぎょうそくじきょう)の敵(かたき)と成(な)る。一乗(いちじょう)流布(るふ)の代(よ)の時(とき)は権教(ごんきょう)(あ)って敵(かたき)と成(な)る。まぎらはしくば実教(じっきょう)より之(これ)を責(せ)むべし。是(これ)を摂折(しょうしゃく)の修行(しゅぎょう)の中なか)には法華折伏(ほっけしゃくぶく)と申(もう)すなり。
                                    
                                  (御書六七二ページ一五行目~一八行目)

 
 
 
 
        住 職  () (はし)  (どう)  (ほう)  


 
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