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投 稿
令和2年 2月

 
   随想 「親友・順子さんの七回忌で」 瀬戸のなぎさ
  
 お正月も過ぎた穏やかな日曜日の朝、娘時代からの親友・順子さんの七回忌法要に招待されて、夫と隣市に新築された彼女の長男宅へ行きました。
 公務員の長男さんは結婚後、両親が改増した二世帯住宅で親と同居していましたが、近年、父親が体調を崩されたり、母親の七回忌を控えて新しい仏間でとの思いで、近所に平屋でバリアフリーの立派な木造住宅を新築されたのです。
 玄関ポーチの大きい屋根を太い檜(ひのき)柱が支えている重厚な和風の玄関を入ると、廊下伝いに応接間や居間、家族のプライベートルームなどが並び、奥の明るく広い仏間には新しい黒檀の仏壇に、御本尊様が御安置されていました。
 脇の焼香台には、在りし日の順子さんの、笑顔の遺影が飾られて『うわあ!よう、来てくれたな・・・!』 
と、いつもの彼女の弾んだ声が聞こえてきそうです。
 ご主人の部屋は、仏間続きの和室で、襖を開けると、いつでも御本尊様を拝せる位置に介護ベッドや車椅子なども備えられて、御長男夫婦のやさしさが溢れています。
 しばしご主人や親戚の人たちと挨拶を交わしながら雑談していると、所属寺院のご住職様が、それぞれがお願いしていた御塔婆を御持参され、法要が始まりました。
 遺族や親戚の人たちの後から読経をしていると、息子さんたち夫婦は無論のこと、中・高校生などの孫たち全員が一丸となって姿勢を正し、正確に朗々と勤行をする姿に、感動の涙がにじみます。
 ふと、半世紀以上も昔の事を思い出しました。
 ある連休の日に、バスに揺られながらの一泊予定で、初めて順子さんの家を訪問した時の事でした。
 一人っ子だった彼女の、まだ若かった母親が脳を患って痴呆になり、自分の食事や排泄なども儘(まま)ならぬ状態を初めて目の当たりにして、愕然としました。
 彼女が作った夕食を父親が母親に食べさせてから、父娘(おやこ)が協力為(し)合って入浴の介助です。
 ようやく母親を寝かせた彼女が、隣の部屋で私と枕を並べてお喋りに興じました。
 そんな時、下着の中へ大便をした母親が、のっそりと部屋に入ってきました。
 彼女は悲鳴を上げてパニックになりながら便の始末をし、私はオロオロするばかりでした。
 薄暗い井戸端で、母親の汚れ物を黙々と手洗いしている彼女を、ガラス越しに唖然と眺めながら、初めて順子さんを折伏して、このような悲惨な状況から救いたいと思いました。
 以来、折りにふれ折伏をしましたが、天理教の信徒だった彼女は聞く耳を持ちません。
 その後、彼女の母親が亡くなり、素敵な男性と結婚して長男を身籠った頃でしょうか?医師から心配な事を告げられて私に相談された時、一層厳しく折伏しました。
 出産を控えて不安だった順子さんは
 「真剣に御本尊様にご祈念すれば、必ず祈りは叶うのよ」と私の真剣な折伏に、ようやく入信できたのでした。
 二度の出産も無事に元気な福子が生まれ、家族で寺院参詣できる平穏な家庭を築かれていた時期、車の整備士だった御主人が退社して、自動車整備工場を立ち上げました。
 彼の誠実な人柄と確かな技術や、真面目な善き従業員たちに恵まれ、仕事も順調のようで、私たち家族の、それぞれの車も大変お世話になり、安心して生活しています。
 父親の下で働いていた次男さんも、今では工場の後継者として頑張っておられる姿に、功徳と努力の賜物と、しみじみ思い、折伏の大切さを再認識できた一日でした。
     (せとの なぎさ)
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   随想 「納骨式とオスプレー」 瀬戸のなぎさ

  三寒四温の気温変化が激しい12月上旬のこと、この夏、老衰で逝去した実家の兄の納骨式が、高松・坂出両市にまたがる五色台三麓の墓園で行われました。
 当日、夫と共に墓の掃除を終え、シキミや香炉などを整え終わった頃、兄嫁が骨壺を胸に、法顕寺御住職や慈本寺御住職と共に到着。墓誌の戒名を彫った石工に手際よく納骨して貰い、三谷維道御尊師の御導師のもと、納骨式が行われました。
 師走とは思えない暖かな陽光に包まれた静かな墓園に、朗々と読経の声と澄んだ鈴の音が響きます。
 お焼香の煙が立ち上るのを眺めながら
 「サーちゃん(亡き兄の愛称)、いろいろお世話になり有難うございました!来世でまた会おうね!」と心中で語りかけました。
 この兄は私より一回り年長で、青年時代からの熱心な日蓮正宗の信徒でした。
 結婚後も子供がいなかった兄夫婦は、我が家の三男家族を自分達の孫子のように接しながら、仕事と信心活動に頑張った生涯でした。
 無事に仕事が終わり、安堵して片付けをしていると、眼下に私たちの町が一望。
 晴れ渡った碧空の下、遠く行き交う国道の車の流れや建物などが煌めき、まるで箱庭を眺めているように平和で美しい。
 見とれていると突如、バリバリバリと頭上のプロペラの音に見上げるも、樹木の陰で機体は見えず・・・。
 ふと新聞の『五色台の陸上自衛隊演習場で。米軍輸送機オスプレイによる県内初の実動訓練』との記事を思い出しました。
 この日米共同訓練は、陸上自衛隊と米軍海兵隊の計750名が参加。普天間所属のオスプレイを使用し、米軍基地が集中する沖縄県の負担軽減が目的との事です。
 初めての身近なオスプレイ訓練に複雑な思いが廻ります。
 このところ自衛隊法改正論や、海上自衛隊の中東への派遣問題、トランプ米政権の核合意を離脱したニュース等に、その内、日本がまた戦争に巻き込まれはしないかと、不安になります。
 かつて六十七世日顕聖人は「この正法によって日本乃至世界の人々を救う時が来ることを私は確信するのでありますが、その時がいつであるかっということはまことに判りません。しかし、これは常に驕慢を離れ、懈怠を離れ、常に中道の心をもって、僧俗が真に一つの心で正法を護持興隆し広布に向かって前進をする作業のなかに、また、御仏意によって顕れてくるものであるということを深く確信するのであります。」(大日蓮602号平成八年四月)とご指南されました。
 日蓮大聖人の仏法が世界中に流布し、お互いを尊重し合う平和な世界を願います。
                              (せとのなぎさ)

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