ホーム 法華講員ページ 投稿もくじ
 
投 稿
令和2年1月~7月
 
   随想 「水無月の日々に」 瀬戸のなぎさ

 きょう6月21日は「夏至」であり「父の日」です。
 夏至は二十四節気の一つで、一年中で北半球の昼が最も長く、当地・高松での昼間は17時間27分だとか。
 朝、新聞を読んでいるとジュジュジュ・・・と、けたたましい鳥の鳴き声に驚いて庭に出ると、玄関前の大きなスムモの古木に沢山の椋鳥(ムクドリ)が群がっていました。
 咄嗟に「シー、シー!」と両手を広げて追い払うと一斉に飛び立ち、すぐ近くの電柱に張られた複数の平行な電線に数十羽が等間隔で静止して、こちらの行動を窺っています。
 スズメやウグイスより一回り大きな灰褐色の椋鳥集団に注視されると、昔、ヒッチコック監督の映画「鳥」で、人々が野鳥の集団に襲われて逃げ惑う恐怖の場面を思い出し、身が竦(すく)みます。
 互いに注視しあっていた時、ふと動かない鳥たちが空の5線に楽譜を描いているように見えて、そのユニークさに可笑しくなりました。
 しばらくして椋鳥が再び大空へ飛び去った後、古木の下から見上げると、いつの間にか茂った若葉の隙間から、真っ赤に熟したスモモの実が見え隠れしています。
 日常にスモモの木のそばを通りながら気付かなかった自分に比べて、自然界でで生きる野鳥の視力や嗅覚などの鋭さに改めて感心しながら、熟しているスモモを捥(も)ぎ、初物を早速、御宝前に供えました。
 昨日から今日にかけ、3人の息子夫婦たちからそれぞれに「父の日」のプレゼントが届き、それらもすべてお供えし感謝のお題目を唱えます。
 先日、つつがなく田植えも終わり、ホッとしている時に届けられた「妙教」6月号の御法主日如上人猊下様の御指南
 「不幸の根源を断つ」を拝し、勇猛果敢に折伏を行じていかなければと、改めて決意したのでした。(せとのなぎさ)

top


   随想 「ある午後のひととき」 瀬戸のなぎさ

 ひと雨ごとに辺りの若葉が緑を増し、日照時間が次第に長くなりました。
 朝焼けの美しい空と爽やかな空気に包まれた庭で、矢車草や紫蘭(シラン)などの春の花が枯れ始め、これから壮観な立ち姿が楽しめるピンクの立葵(タチアオイ)や色彩豊かな紫陽花の花々があちらこちらで咲き始めました。
 暑さが長続きしなこの時期を「薄暑」と言うそうで、早朝の我が家の古道を黙々とウオーキングやジョギングに励む人々を多く見かける此の頃です。
 涼しい内にと、菜園で空豆を収穫していると突然に子供たちの賑やかな声が聞こえます。
 腰を伸ばして垣根越しに隣家の方を覗くと、ランドセルを背負った孫たちが元気に登校する姿が見えました。
 新型コロナウィルス感染拡大の緊急事態宣言がようやく解除され、久しぶりの登校に嬉しそうですが、しばらくは隔日登校が続くようです。
 孫たちと擦れ違いにウオーキング帰りのN婦人が通りがかり、互いに朝の挨拶を交わしたので、捥(も)ぎたての空豆の莢(さや)をレジ袋に入れてあげました。
 ところがその日の午後のこと、チャイム音に玄関へ出ると、植木鉢を手にN婦人がにこやかに立ち、今朝のおら豆のお礼と言われ、「私も花が大好きで、此処を」通るときはいつもお花の庭を眺めさせて頂いています。
 私はクリスマスローズの花が好きで庭に植えていまうが、こちらの庭には無いようだから、持ってきました。」
と思いがけないプレゼントに嬉しくなり、初めて家に招き入れて、一緒にお茶を楽しみました。
 会話していると、彼女は若い頃から高松旧市内の私の実家の近所に今も建つ病院の看護師として、私の同級生と共に定年まで勤務されていたとの奇遇に、親近感が増しました。
 日蓮大聖人様は、「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書668)、「一句をも人に語らん人は如来の使いと見えたり」(御書1555)と仰せになっています。
 お互いに子育てや仕事を終え、自由自適な日々のなかで、いつの日かNさん御夫婦と一緒にたいせきじへのお登山が叶いますよう御記念し、努力したいと思った午後のひとときでした。(せとのなぎさ)
(6月)

 top


   随想 「午後の日溜まりで」 瀬戸のなぎさ

 桜の花が散り、辺りの若葉が陽光に輝く季節になりました。
 当地では、初のコロナウィルス感染者が出てから1
月が過ぎた新学期早々のこと、隣町の保育園で初のクラスター(集団感染)が発生し、保育士11人と幼児2人が感染しました。
 それで、新学期3日目から孫たちが通う小学校や学童保育と、一歳の孫が入園したばかりの保育園などが閉鎖され、看護師の嫁も勤務先の病院を欠勤しなければならなくなりました。
 世界での感染者は200万人を超え、最悪の場合は人工呼吸器の不足で必要な治療を受けられなくなり、およそ40万人以上が死亡するのではとの、厚生労働省専門家チームの推計には、恐怖を感じます。
 感染拡大の終息が見えない此の頃、私もなるべく外出を控えて、自宅の庭や畑で季節の花々や野菜作りに励んだり、日頃、気になりながら放置していた戸棚や押し入れの中の整理を始めました。
 昔から本家の我が家には泊りがけの親戚客が多かったので、来客用の寝具類や台所用品、食器類などが沢山あります。
 家族の変化に合わない物、掃除しづらい物、重い物、他の物で代用できる物などを考えると、現在、老夫婦二人暮らしに必要なものは、保管している物の一割程度かと思います。
 クローゼットにも、ここ数年着ていないスーツやコートなどを見つける度、まだ着られるか、捨てるのかジレンマ陥る自分がいて、なかなか片付きません。
 今日は納戸に積み重ねていた段ボールから、沢山の進物用のタオルやハンカチ、手ぬぐいなどが出てきました。
 これは、隣の孫たちが育ち盛りなので、使用してもらえるかもと紙袋に入れ、がーぜ素材の物は、今、不足しているマスクを縫う事にしました。
 午後のひととき
「一日も早くコロナウィルス感染拡大が終息しますように」
と祈りながら、縁側の日溜まりでミシンを掛け、マスクの手作りを楽しんでいます。(せとのなぎさ)(5月)


 top



   随想 「コロナウィルス」 瀬戸のなぎさ

 昨夜は不意に窓辺の障子が稲妻で光り、やがて激しい雷雨におののきましたが、今朝の美しい茜色の空の日の出にホッとしました。
 春先に降る暖かな雨は植物にとっては大切で「催花雨(さいかう)」と呼ばれるとか。
 暖冬と催花雨により、今年は桜の開花も早まりそうです。
 このところ、新型コロナウイルスの感染拡大を見据えて、孫たちの小学校や私たち夫婦が通っている、県の「長寿大学」の卒業式も卒業生だけの式になり、在校生は春休みを待たずに臨時休校となりました。
 生活リズムが変わり、孫たちは両親の出勤時にリュックと水筒を肩に当方へ来て、学童保育園へ行くまでの一時間余りを過ごしてから、私の車で登園しています。
 教室の入り口で体温を測り、両手を消毒してから入室しますが、お世話下さる先生方も忙しそうで、頭が下がります。
 世界の感染者は3月22日現在で26万人を超え、死者も1万2923人に達して、収束の目処がつかない様子です。
 四国では唯一、香川県だけが感染を免れていましたが、ついに一人の陽性が判明。
 4月11日から開く予定だった「第36回四国こんぴら歌舞伎大芝居」が急遽中止になりました。
 1853(天保6)年に香川県琴平町に建てられ、現存する日本最古の芝居小屋の『金丸座』では1985(昭和60)年から毎年、桜の時季に歌舞伎大芝居が開催され、関西方面などから歌舞伎ファン約2万人が訪れていました。
 チケット購入も容易でない人気が続き、私たち夫婦も知人から譲り受けたチケットで、十数年前に一度だけ観劇したことがあります。
 江戸時代そのままの立派な木造建築の枡(ます)席で和服に正座しながらの観劇は、役者の迫力迫る演劇に魅了されたものです。
 その時の金丸座の枡席は、観客同士の肩が触れあうほど距離が近かったのですが、それらのリスクが高いと判断されたようです。
 琴平町によると、こんぴら歌舞伎の開催による経済効果は約10億円と算定されていたそうで、町単独の損失は、チケットの印刷や絵看板の設置などで数千万円に上るとか。
 今年は、松本幸四郎改め二代目白鸚さん、市川染五郎改め十代目幸四郎さん親子の襲名披露公演で、計32公演の予定でしたが、役者のスケジュール上、延期は出来ないとのこと。
 私たち夫婦は四月の支部登山を楽しみにして、早々に寺院へ申し込み、静岡のホテルを予約していましたが、この度、支部登山中止の連絡を受け、とても残念です。
 当地の観光地や市内の繁華街などの閑散とした風景を目の当たりにする度、猊下様より頂いた御命題の『令和三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築』に対する魔の為業かと感じる此の頃です。
 『大悪大善御書』に
「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。」(御書796頁)
を拝し、今こそ折伏に励み、正法を広めて安穏な世を築かなくてはと、唱題しています。(せとのなぎさ)

(4月)


  top


   随想 「悼む」 瀬戸のなぎさ

 三
寒四温の日々が続いていた冬の終わりのこと、歌手の梓みちよさんの突然な訃報に、かつてのファンであり、同い年の私は驚きました。
 目を閉じるとショートカットでくりくり眼(まなこ)の彼女が 『こんにちは赤ちゃん』を伸びやかな声で歌っていた清純な姿が浮かびます。
 永六輔作詞・中村八大作曲の『こんにちは赤ちゃん』はテレビやラジオをはじめ、商店街などにもその軽快なフレーズがよく流れていて、後にレコード大賞を受賞されました。
 若かった私もその歌を聴きながら「いつの日か、自分も可愛い赤ちゃんの母親になりたい。」という淡い願望を抱いたものです。
 二十二歳で結婚し、二年後に長男を未熟児の仮死状態で早産した私はそのまま退職し、御本尊様に未熟児の命を懇願しながら育児に専念。
 その頃はベビーベッドを覗き込みながら、「こんにちは赤ちゃん!」とか「はじめまして、私がママよ~♪」などとよく口遊(ずさ)んだものです。
 お陰様で長男も順調に育ち、二年後には次男、そして七年後には三男誕生で育児に追われていた頃には、梓さんの『二人でお酒を』が大ヒットしました。
 当時は夫の出張や単身赴任が多く、子供たちが寝静まってから帰宅した夫と晩酌しながら、テレビで彼女が床にあぐらをかき「二人でお酒を飲みましょう!飲みましょう~ね!」などと粋なスタイルで歌う姿を観ていました。
 梓さんのマネージャーが打ち合わせのため、都内の自宅を訪ねて、彼女の亡骸を発見されたとの記事に、只々残念でご冥福を祈り、御題目を贈らせて頂きました。
 近年、知人や友人、身内の人たちとのお別れが多くなりました。
 自分自身の余生がいかほどか知る由もありませんが、
「法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず、心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。」(土篭御書・483頁)
の御文を胸に、日々やる事を熟(こな)しつつ、信心根本に、残された人生を有意義に過ごしたいと思う此の頃です。
 (せとのなぎさ) (3月)

  top

 
   随想 「親友・順子さんの七回忌で」 瀬戸のなぎさ
  
 お正月も過ぎた穏やかな日曜日の朝、娘時代からの親友・順子さんの七回忌法要に招待されて、夫と隣市に新築された彼女の長男宅へ行きました。
 公務員の長男さんは結婚後、両親が改増した二世帯住宅で親と同居していましたが、近年、父親が体調を崩されたり、母親の七回忌を控えて新しい仏間でとの思いで、近所に平屋でバリアフリーの立派な木造住宅を新築されたのです。
 玄関ポーチの大きい屋根を太い檜(ひのき)柱が支えている重厚な和風の玄関を入ると、廊下伝いに応接間や居間、家族のプライベートルームなどが並び、奥の明るく広い仏間には新しい黒檀の仏壇に、御本尊様が御安置されていました。
 脇の焼香台には、在りし日の順子さんの、笑顔の遺影が飾られて『うわあ!よう、来てくれたな・・・!』 
と、いつもの彼女の弾んだ声が聞こえてきそうです。
 ご主人の部屋は、仏間続きの和室で、襖を開けると、いつでも御本尊様を拝せる位置に介護ベッドや車椅子なども備えられて、御長男夫婦のやさしさが溢れています。
 しばしご主人や親戚の人たちと挨拶を交わしながら雑談していると、所属寺院のご住職様が、それぞれがお願いしていた御塔婆を御持参され、法要が始まりました。
 遺族や親戚の人たちの後から読経をしていると、息子さんたち夫婦は無論のこと、中・高校生などの孫たち全員が一丸となって姿勢を正し、正確に朗々と勤行をする姿に、感動の涙がにじみます。
 ふと、半世紀以上も昔の事を思い出しました。
 ある連休の日に、バスに揺られながらの一泊予定で、初めて順子さんの家を訪問した時の事でした。
 一人っ子だった彼女の、まだ若かった母親が脳を患って痴呆になり、自分の食事や排泄なども儘(まま)ならぬ状態を初めて目の当たりにして、愕然としました。
 彼女が作った夕食を父親が母親に食べさせてから、父娘(おやこ)が協力為(し)合って入浴の介助です。
 ようやく母親を寝かせた彼女が、隣の部屋で私と枕を並べてお喋りに興じました。
 そんな時、下着の中へ大便をした母親が、のっそりと部屋に入ってきました。
 彼女は悲鳴を上げてパニックになりながら便の始末をし、私はオロオロするばかりでした。
 薄暗い井戸端で、母親の汚れ物を黙々と手洗いしている彼女を、ガラス越しに唖然と眺めながら、初めて順子さんを折伏して、このような悲惨な状況から救いたいと思いました。
 以来、折りにふれ折伏をしましたが、天理教の信徒だった彼女は聞く耳を持ちません。
 その後、彼女の母親が亡くなり、素敵な男性と結婚して長男を身籠った頃でしょうか?医師から心配な事を告げられて私に相談された時、一層厳しく折伏しました。
 出産を控えて不安だった順子さんは
 「真剣に御本尊様にご祈念すれば、必ず祈りは叶うのよ」と私の真剣な折伏に、ようやく入信できたのでした。
 二度の出産も無事に元気な福子が生まれ、家族で寺院参詣できる平穏な家庭を築かれていた時期、車の整備士だった御主人が退社して、自動車整備工場を立ち上げました。
 彼の誠実な人柄と確かな技術や、真面目な善き従業員たちに恵まれ、仕事も順調のようで、私たち家族の、それぞれの車も大変お世話になり、安心して生活しています。
 父親の下で働いていた次男さんも、今では工場の後継者として頑張っておられる姿に、功徳と努力の賜物と、しみじみ思い、折伏の大切さを再認識できた一日でした。(せとの なぎさ) (2月)
 top

 
   随想 「納骨式とオスプレー」 瀬戸のなぎさ

  三寒四温の気温変化が激しい12月上旬のこと、この夏、老衰で逝去した実家の兄の納骨式が、高松・坂出両市にまたがる五色台三麓の墓園で行われました。
 当日、夫と共に墓の掃除を終え、シキミや香炉などを整え終わった頃、兄嫁が骨壺を胸に、法顕寺御住職や慈本寺御住職と共に到着。墓誌の戒名を彫った石工に手際よく納骨して貰い、三谷維道御尊師の御導師のもと、納骨式が行われました。
 師走とは思えない暖かな陽光に包まれた静かな墓園に、朗々と読経の声と澄んだ鈴の音が響きます。
 お焼香の煙が立ち上るのを眺めながら
 「サーちゃん(亡き兄の愛称)、いろいろお世話になり有難うございました!来世でまた会おうね!」と心中で語りかけました。
 この兄は私より一回り年長で、青年時代からの熱心な日蓮正宗の信徒でした。
 結婚後も子供がいなかった兄夫婦は、我が家の三男家族を自分達の孫子のように接しながら、仕事と信心活動に頑張った生涯でした。
 無事に仕事が終わり、安堵して片付けをしていると、眼下に私たちの町が一望。
 晴れ渡った碧空の下、遠く行き交う国道の車の流れや建物などが煌めき、まるで箱庭を眺めているように平和で美しい。
 見とれていると突如、バリバリバリと頭上のプロペラの音に見上げるも、樹木の陰で機体は見えず・・・。
 ふと新聞の『五色台の陸上自衛隊演習場で。米軍輸送機オスプレイによる県内初の実動訓練』との記事を思い出しました。
 この日米共同訓練は、陸上自衛隊と米軍海兵隊の計750名が参加。普天間所属のオスプレイを使用し、米軍基地が集中する沖縄県の負担軽減が目的との事です。
 初めての身近なオスプレイ訓練に複雑な思いが廻ります。
 このところ自衛隊法改正論や、海上自衛隊の中東への派遣問題、トランプ米政権の核合意を離脱したニュース等に、その内、日本がまた戦争に巻き込まれはしないかと、不安になります。
 かつて六十七世日顕聖人は「この正法によって日本乃至世界の人々を救う時が来ることを私は確信するのでありますが、その時がいつであるかっということはまことに判りません。しかし、これは常に驕慢を離れ、懈怠を離れ、常に中道の心をもって、僧俗が真に一つの心で正法を護持興隆し広布に向かって前進をする作業のなかに、また、御仏意によって顕れてくるものであるということを深く確信するのであります。」(大日蓮602号平成八年四月)とご指南されました。
 日蓮大聖人の仏法が世界中に流布し、お互いを尊重し合う平和な世界を願います。(せとのなぎさ)  (1月)
                              

 top